だが、一方で、93年頃、智津夫が本気でアメリカから毒ガス攻撃を受けていると信じるようになったことについては、明らかに幻覚、幻聴だったとアーチャリーは記している。
「今から振り返ると統合失調症などの精神疾患によるものと見ることができるのではないか、とも思います」
こういうことをいうのは、父親を刑から逃れさせようとしているからではないか、という疑念も生じるが、実は本書の中で、アーチャリーは、父親が事件の首謀者であるとする見方にはっきりと疑問を呈していたのだ
そもそも、95年にサリン事件が勃発し、智津夫が凶悪なテロ事件の首謀者として逮捕された際も、アーチャリーは父親を信じていたという。
「事件自体が起こったことについては受け入れていました。しかしその事実と、それをオウムがおこなったのか、父が首謀(指示)したのかは、また別のことでした」
そして、その思いは現在も変わっていないようだ。アーチャリーは事件の構図についてこう持論を述べている。
「『尊師によく思われたい。尊師に褒められたい――』
これが、これらの大きな事件の構図において重要なキーワードだ、ということです。『尊師』を都合良く使った人も、父の言葉の文脈を理解できなかった人も、『尊師によく思われたい』という思いがあることでは共通していました」
アーチャリーが見たサマナたちは必死で尊師の関心を自分に向けようとしていた。そして危機感を煽るような情報を伝えたり、自分に都合のいいように解釈して他のサマナたちに伝えた。事件はそんな背景で起こったのではと指摘するのだ。「父親がすべてを指揮したわけではないのではないか」と。
「わたしは事件に関し、父が何をしたのかを知りません。でも、当時を思い返し、今まで自分が経験してきたことを考えると、父がすべての主犯であり、すべての指示をしていたとはどうしても思えないのです。当時父を『独占』していた村井さんや井上さん(注・嘉浩 元オウム諜報省長官 死刑囚)たちが、父に真実を報告し、また父の指示をそのまま伝えていたとは信じられないところがあるからです」
こうした見方は、サリン事件の被害者や麻原彰晃の命ぜられるままに犯罪に手を染めていった信者にとっては、身勝手としか思えないものだろう。だが、アーチャリーは反発を受けることも覚悟の上で、父親を擁護する。