一方、泉山はこの一件で「トラ大臣」としてすっかり知名度を上げ、このあと50年の参院選挙に出馬し当選、2期務めている。近年、女優の浅香光代が過去に某大物政治家と不倫関係にあったことを告白した際、浅香にその政治家を紹介した人物として泉山の名があげられた。そもそもは例の騒動のあと、浅香が「男がキスしたってどうってことないじゃないか」と泉山を擁護したのがきっかけだったという。セクハラという言葉がまだなかった時代、酒の上でのことだし大目に見てやろうという人は浅香にかぎらずけっして少なくなかったのだろう。
■“だまされた”女性議員のほうが叩かれた政界不倫スキャンダル
泉山三六に対する衆院の懲罰委員会に出席した議員のなかには、民主党の新人議員・園田直の姿もあった。園田が労働農民党の議員・松谷天光光と大恋愛の末に結婚し、国会議事堂にちなんで「白亜の恋」とスキャンダラスに騒がれたのはその翌年、49年のことである。
松谷は先の山下春江と同じく46年の総選挙で初当選した女性議員のひとりだ。園田が初当選したのはその翌年の総選挙であり、まもなくして参加した青年議員連盟で松谷と出会った。陸軍軍人時代の戦友たちがほとんど田舎の貧乏人であった園田は、政治はこういう人たちのためにこそあるべきだと考えていた。松谷はそんな信条を持つ園田に惹かれていく。
やがて二人のあいだで結婚しようという話になったとき、園田は、じつは一度結婚したことがあり男の子が一人いると打ち明けた。それでも男の子一人ぐらいだったら何とかなるだろうと、松谷は父に話をするも反対される。松谷家には男子がおらず、彼女が跡取りと決められていたため、園田が養子に入るのでなければ認められないというのだ。彼も長男なのでそれは無理な話だった。
父はまた、園田に子供がいると知って、そのあたりをちゃんと調べてみると言い出した。これを松谷から聞いた園田は慌て出し、結婚を急いだ。できれば父の許しを待ちたかった松谷だが、49年12月10日の早朝、駆け落ち同然に出奔した。二人はまず松谷の母親の墓参りをするため多磨霊園を訪れる。そこにはなぜか新聞記者が待ち受けており、写真に撮られてしまう。その後、場所を移り、園田の同志的存在だった中曽根康弘(のちの首相)らを立会人に神前式の結婚式を行なった。
それにしても園田はなぜ結婚を急いだのか。その理由に松谷は、群馬・伊香保への新婚旅行から東京に戻り、新居となる議員会館に赴いたとき気づくことになる。そこには友人の女性記者が待っており、園田にはじつは子供が5人いると教えてくれた。松谷はさっそく園田を問い詰める。ここでようやく彼はすべてを明かした。先に聞いていた男の子は、軍隊に入る前に結婚した最初の妻との子供で、じつはその後再婚してさらに4人の子供を儲けていたのだ。その2番目の妻は、園田が戦争末期に特攻隊として出撃する前に籍を抜いたものの、まだ彼の熊本の実家で子供たちとともに暮らしているという。彼女の父からきちんと調べると言われたとき、園田が慌てたのはそのためだ。母の墓前に新聞記者がいたのも、園田が事前に知らせておいたからで、そこには結婚を世間に公表して既成事実にしてしまおうという思惑があった。