しかし、この80年前の「津山事件=八つ墓村」はほんとうに、今回の事件と類似性があるのだろうか。実は「津山事件」は犯人である睦雄が自殺したため、謎に包まれている部分も大きい。遺書の内容と住民の供述もかなり食い違っており、小説化されたことで、フィクションの部分が一人歩きしているところもある。
だが、今から7年ほど前に、この事件の遺族をはじめて直撃し、真相に迫った報道があった。それが「週刊朝日」(朝日新聞出版)2008年5月23日号の「津山30人殺し『八つ墓村』事件70年目の新証言」だ。
長い年月が経ったことで、関係者のほとんどは死亡し、地元住民も未だ事件について口を閉ざす者が多い中、事件で妻と義母、義父を殺されたという90代の男性Aさんが犯行現場の状況を証言したのだ。そこに描かれているのは身の毛もよだつような大量殺戮だった。
「事件のあった時、ワシは数えで22歳。昔は成人式が済んで、21歳で徴兵検査を受けて、嫁をもらったんじゃ」
Aさんは隣町の住民だが、妻の実家は貝尾集落の睦雄の家の道を挟んだ向い側にあった。そして、妻は、睦雄が遺書に自分との性的関係があったと書いた女性だった。
睦雄の遺書には「今日、僕と以前関係のあったB(注=原文では実名)が貝尾に来たからである、又C(同)も来たからである」という記述があったが、このCさんが妻、Bさんも妻の友人だった。
また、睦雄の遺書にはAさんの妻の母親、つまり義母も登場する。遺書にはAさんの義母から「大きな侮辱を受けた」という記述があり、Aさんの義母にも性行為を迫ったが、それを断られて逆恨みしたと見られている。
つまり、「週刊朝日」に告白したAさんは犯行動機に深く関わっていた複数の女性の縁者だったのだ。
睦雄の遺書にあったように、事件前日、Aさんの妻=Cさんは友人のBさんといっしょに実家に里帰りしている。Aさんも誘われたが「たいぎなくて(しんどくて)」行く気にならなかったことで一命を取り留めることになる。
自宅に残っていたAさんは夜中の4時頃、友人から「奥さんの実家も襲われとるみたいや」と知らされ無我夢中で隣集落へ向かった。集落全体が血なまぐさかったという。
「女房の実家に入ると、その日ちょうど、女房の伯母が遊びに来とったようで、いちばん奥にワシの女房と2人並んで寝とった。2人も、両方の胸打たれて大きな穴が開いとったわ(略)反対側の右側に義父が寝とって、オヤジは起き上がったところを撃たれたんじゃろうな。座ったように横になっとった。義母は外へ逃れようと思ったんじゃろう。縁のほうへ這って出たようで、敷居をまたいで倒れて、はらわたがダラーと出ておった」
4人がいた8畳間は血の海でもあった。現場を直接見てしまったAさんのあまりに赤裸々な証言だ。