安倍晋三首相のFacebookより
イスラム国が人質邦人の殺害を予告した期日を過ぎた。24日19時現在、日本政府が2人の安否を確認したとの情報はない。一刻も早い解放が望まれるが、しかし、結果がどうなろうとも、おそらく安倍首相はなんの痛痒も感じないだろう。なぜなら、この人質事件は安倍首相の目指す「戦争のできる国家づくり」をさらに前進させる絶好の機会になるだろうからだ。
いや、もっといえば、安倍首相はそもそもこうした事態をつくりだすために「積極的平和主義」を掲げてきた、と言ってもいいかもしれない。
よく知られているとおり、中東やアフリカなどのイスラム諸国は従来、日本に悪感情など持っていなかった。イスラエルに肩入れし、幾度も中東で武力侵攻に手を染めてきた米国や欧州主要国とは異なり、平和憲法を掲げる日本が現地で直接戦火を交えたことは一度もなかったからだ。欧米とは異なるアジアの非キリスト教国として世界にも稀な経済発展を成し遂げたことへのリスペクトもあった。“過激派”=日本赤軍が引き起こしたリッダ事件の影響も無視できないだろう。
しかし、このようにしてイスラム諸国に共有されていた日本への親近感=親日という“財産”は、この10年ほどで使い果たされてしまった。
9.11をうけ、米ブッシュ政権がアルカイダ殲滅に乗り出したアフガン報復戦では、当時の小泉政権は全面的な「支持」を表明し、海上自衛隊の補給艦と護衛艦を派遣した。ありもしない「大量破壊兵器の脅威」を名目にしたイラク侵攻戦でも、国際社会から懸念の声が示されたのに、小泉政権はまたもや自衛隊を送って米国に同調した。
そもそも、アフガンのタリバンやアルカイダにせよ、シリアからイラク北部にかけて支配地域を広げるイスラム国にせよ、歴史をひもとけば、米国らの身勝手な中東政策が産み落としてしまった“鬼っ子”の側面が強い。にもかかわらず日本は米国につき従い、ひたすら「支持」と「支援」を繰り返してきた。
そして、この姿勢は第二次安倍政権が誕生すると、さらにエスカレートする。
米英仏のイスラム国への空爆についても、国連安保理の決議すらない国際法違反の疑いが指摘されているのに、安倍政権は「米国を含む国際社会のイスラム国への闘いを支持している」と、全面的に支持。一方、国内では解釈改憲という乱暴な手法で集団的自衛権の行使容認を宣言。米国とのさらなる軍事一体化を進め、長年堅持した武器輸出三原則も破棄、軍事分野へのODA(政府開発援助)適用などに向けた動きも活発化させた。