その後もAV女優というお仕事に邁進する紗倉だが、しかし不思議なことに彼女のポジティブさは、次第に周囲への過敏な配慮という形に集約されていくのだ。例えば、こんな具合だ。
「AV業界で知り合った方々は、定期的にお会いできるわけではないので、お正月などの時期には年賀状で感謝の気持ちを伝えるようにしています。イベントでお世話になった店舗さんをはじめ、イベントに来てくださったファンの方々(住所が含まれた手紙をいただくこともあるので)など、約300枚ほどですが、そういった小さなことから伝わればいいなと思っているんです」
「『AV女優として何年もこの業界で必要とされるために私には何が必要なんだろう』と、時々考えることがあります」
「撮影中は男優さんのことを好きな人と重ねてみる。『自分がしてほしくないことを、相手(男優さん)にはしない』。それが撮影中に徹底している『マイルール』でもあります」
「『自分は契約を交わされた商品』なのだと身をもって知りながら、1本1本に思いを込めて撮影に挑んでおります(ぺこり)」
そこには周囲からの期待に応えるため、そのために必死であまりに従順な紗倉の姿が浮かんでくる。認められたい。必要とされたい。そんな紗倉は自分を殺しているようにも見える。実際、紗倉はこんなことを書いていた。
「(AV女優は)生き残りをかけた競争社会だからこそ、私の唯一の武器である気づかいは、この先もずっと忘れないようにしたいなと思っています」
唯一の武器が気づかい。それを自らが語ってしまう痛さ。それは自分の自信のなさからだと紗倉自身も自覚している。
「最近では作品を重ねるごとに、自分にどんどん自信がなくなってしまっているような気がします」
自己評価が低く、常に不安に襲われる。そのための、さらなる気配り──。これはまさに過剰適応そのものではないのか。
「業界で必要とされる」「ファンの方から求められる」「こんな根暗な私」「親しみやすい女優さんでいられたら」
紗倉の言葉は自分を卑下する一方、常に周囲を気にし、ファンや男優、スタッフや関係者への感謝やリスペクトで埋め尽くされる。そして認められ、褒められるためには、何にでも応じようとする紗倉。実際AVの仕事でも野菜を使ったオナニー、放尿、白目を剥いて痙攣、求められるままサービス満点に応じている。