「高度経済成長の時代、保険会社は人々の安心・安全願望を上手に取り込み、増え続ける給料の中から巧みに吸い上げ、順調に成長してきました。こうして、人々が安心・安全な生活を守ってくれると信じた『お守り』のような保険がどんどん売れて、人々は心地よい気持ちに浸っていました。しかし、こうした『お守り』のほとんどは、実は保険としての価値の薄いものでした。入っていれば大丈夫、と信じていた人々の保険への期待は、何の根拠もないただの幻想でした」(同書より)
しかも、日本の生命保険料は米国の2倍以上で、高負担なのだ。著者はハワイで米国の生命保険に加入しようと保険エージェントに相談したことがある。
「日本で入っている生命保険が、更改期ごとにどんどん保険料が高くなるので、ハワイ出張の機会に、米国のものへの乗り換えを検討してみようと思っていたのです」
日本の生命保険会社で入っていた「保険期間15年、保険金額2000万円」を相談したところ、保険エージェントは「なぜ、15年も必要なのですか。5年間で十分ではないのですか」「(保険金額2000万円も)その半分で十分だと思いますが、何か事情でもあるのですか」と著者が希望する保険よりも「小さい保険」を勧めてくる。しかも提示された保険料は「日本の3分の1」だったのだ。
「不要な保険に入っているということは、それだけ他の生活費を圧迫しているということでもあります。実質的な収入が減り続けている現在、私たちは知らず知らずのうちに『保険ビンボー』になっているのです」(同書より)
「そもそも保険は必要なのか、それとも(必ずしも)必要でないのか」という根本的な問いが日本では欠如したまま、複雑でバカ高い保険料の生命保険に加入させられているのだ。
(小石川シンイチ)
最終更新:2018.10.18 01:44