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信長はなぜ?「本能寺の変」の真実を明智光秀の子孫が解き明かした

 実際、「本能寺の変」の基本ストーリーの元になっているのは、事件の4カ月後に秀吉がお抱えの作家に書かせた『惟任退治記』という軍記物だという。「惟任」とは光秀のことで、それを退治したという題名が示す通り、光秀を滅ぼした山崎の合戦までの秀吉の活躍を描いた事件報告書。著者はこの軍記物の“容認”に疑問を呈する。

「歴史研究者がこのような書の記事を史実の如くに扱っているのはまことに不思議である。理工学の分野の研究論文にSF(サイエンス・フィクション)の記述が科学的な事実として引用されているようなものだが、そのようなことはあり得ない。歴史研究者自身が歴史学は科学ではないと主張しているようなものだ」

『惟任退治記』によって、光秀が信長を怨んでいたこと、天下取りの野望を抱いていたこと、さらに光秀の単独犯行であったことが世に初出し、さらにのちの書物がこの情報を語り継ぎ、通説となっていったのだとか。つまり、「定説」とされてきた怨恨説や野望説、光秀単独犯行説は、秀吉が軍記物で作り出した「物語」というのである。

 では「本能寺の変」は秀吉が黒幕であり、真犯人は光秀以外の人物だったのか……というとそうではない。

 本書は光秀の“冤罪”を主張するのではなく、あくまで謀反の首謀者は光秀であることを主張している。それでもなお、著者が語る“真実”に注目が集まっているのは、光秀が謀反に至った「動機」とその「実行プロセス」が、あまりにも現在の「定説」からかけ離れているからだ。

 著者は、定説といわれてきた「怨恨説」や「野望説」などを否定し、光秀が一族の領地没収や生き残りを賭けたからこそ、たいへんな危険を犯してまで、謀反の実行に至ったというのである。

 少し時代を下るが、後年、秀吉は朝鮮出兵を決める際に「予は多くの国替えや領土替えを行なうであろう。このたびの企てに加わった者には、朝鮮やシナで国土を賞与するであろう」と語ったと宣教師・フロイスが『日本史』に書いている。著者は、秀吉のその考えは信長のアイデアが元になっていたと指摘する。同時代、スペインが国内に充満した軍事力と領土拡張熱を国外に向け、アメリカ大陸に上陸してアステカ王国やインカ帝国を滅ぼし領土を奪ったように、「唐入り(中国征服)」の構想が信長にあったというのだ。

 そして、その際に軍司令官として中国に派遣されることが決定的だったのが光秀だったというのだ。

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