伊勢崎氏は、“もし、あり得るとしたら”の例として、日本共産党が政権をとり、それに反対する勢力との内戦が起き、危機に瀕した日本共産党が中国に助けを求める……というシナリオを挙げている。果たしてそんなことが現実に起きるだろうか?
安倍政権は、こんなありもしないことを前提として集団的自衛権行使容認を進めているということを、国民・有権者はもっと自覚するべきだろう。
その結果、何が起きるかというと、我々の税金が人殺しのために使われ、自衛隊が人を殺し、自衛隊員に死者が出るという世界に突入することになる。しかし、実態を知らされていない我々国民はもちろん、安倍政権にもその「自覚」も「覚悟」もない。
伊勢崎氏の前掲書によると、安倍政権が打ち出した「集団的自衛権の15事例」は、現実味が薄かったり、荒唐無稽なものであったりすることには目をつむっても、どれひとつとして集団的自衛権の行使容認をすべき理由になるものが含まれていないという。これは驚くべきことだ。
安保法制懇も安倍政権の閣僚も、そんな幼稚なレベルの認識で日本の将来を揺るがすことになる集団的自衛権行使容認を決めてしまったわけだ。
2003年のアメリカのイラク侵攻によるイラク人の死者は死体が確認できただけで10万人を優に超えた。実際にはこれをはるかに上回る数で、大量虐殺といってもいい規模だった。アメリカが当初、イラク侵攻の理由としていた大量破壊兵器の存在やアルカイダとの関係もまったくのウソだったことが後に明らかになった。イラク人10万人は理由なく殺されたのだ。
当のアメリカ国民は2006年の中間選挙で共和党の敗北という民意を示し、ブッシュ政権の責任を追及した。かたや日本では、そんな戦争に加担したことへの反省も検証もない。戦争の大義は間違っていたが、日本がブッシュ政権を支持したことは“国益”に適っていた。すべては当時、挑発行為を繰り返していた北朝鮮対策のためだった(アメリカの戦争に加担すれば、アメリカが北朝鮮の脅威から日本を守ってくれる)、と総括された。
しかし、イラクの民の命は日本の北朝鮮問題とはいっさい関係ない。日本の目先の国防に利する(これもまったくの勘違いなのだが)からといって、それを日本から遠く離れた異郷の民(イラクの人々)の血と引き換えに購っていいのかどうか。伊勢崎氏は怒りを込めて、こう記す。
〈はっきり言いましょう。これは「非道」な行いです。
どんなに「国益のため」、「愛国のため」と謳おうとも、「非道」な行いであることは明らかです。そして、現在の安倍政権の「集団的自衛権容認」のロジックも、これとまったく同じものなのです。〉(前掲書より)
安倍政権の無自覚な暴走をいま止めなければならない理由がここにある。前出、伊勢崎氏の著書には「では、日本はどうするべきか」、どうすれば国際社会において確たる地位を築き、国益に資するか、についても詳細で具体的な論考がある。興味のある方には一読をお勧めしたい。
(野尻民夫)
最終更新:2014.12.11 12:09