クドカンが危惧を吐露しているのは、「週刊文春」11月13日号の連載「いまなんつった?」でのこと。〈今は「面白いね」と1回褒められるたびに視聴率が0.1%下がるんじゃないか? という強迫観念にかられ全然嬉しくないです〉と複雑な心情を明かし、まわりからの過剰な反応をこのように綴っている。
〈「いや本当に面白いよ!」信じてくれと言わんばかりに力説される。「面白いのにねえ!」やめてください。「何がよくないのかな」ほらほら、さっきまで褒めてた人まで良くない理由を分析し始めた。やはり数字は残酷です。「面白過ぎるんだよ!」そんなバカな〉
その上、ネット上やメディアの“高評価”にさえ言及し、その奇妙さにツッコミを入れている。
〈悪い評判が聞こえてこないという状況、作り手にとっては怖いものです。新聞やネットの評判も概ね上々だそうで、我慢できずにチラッと見たら「そもそも『あまちゃん』が異常だったのであって、他の宮藤作品は10%前後。むしろ大衆に媚びず、普段通りの作風を貫いていることを歓迎すべきだろう」って。ネットに慰められちゃ世話無いや〉
〈見た人は褒める。見ない人は語らない。数字は何も教えてくれない。賛否両論ならともかく、賛と無視の両論じゃ学ぶものがない。童話の『裸の王様』になぞらえると、王様が裸で街へ出かけたのに誰にも会わず、裸であることを指摘してもらえないままの状態。この歳で叱られたくはないけど、すれ違いざま「裸ですよ」と耳元で囁いて欲しいものです〉
このように、クドカンの態度はじつに自己批評的で、その冷静さはさすがというべきだろう。ただ、ここまで本人が書くほどに、メディアの批評において、『ごめんね青春!』の何がおもしろいのか、ドラマの魅力が具体的に語られていないことも関係しているのではないだろうか。
とくに、クドカンのドラマはこれまでも前述のように“わかる人にはわかる”と言われつづけてきた。それを逆手にとるように、『あまちゃん』では「わかる奴だけ、わかればいい」という台詞を書いたのだと思うが、いまの状況は、「おもしろくないと言ったら“わからない奴”だと思われるかも」と多くの人が恐れているようにも見える。たしかに、これではクドカンも評価を受けても浮かばれないだろう。
実は、もうひとつクドカンには、“裸の王様”化を示すエピソードがある。それは、「クドカン」という愛称をNG扱いにしているという話だ。本人の意向か、それとも所属する大人計画の意向かはわからないが、実際にインタビューなど本人が登場する場合は「クドカン」という言葉は使われていない。まるで木村拓哉が「キムタク」という愛称をNGにしていることを彷彿とさせる話である。
もちろん、数字は絶対的な基準ではない。視聴率が悪くてもおもしろいドラマはたしかにある。しかし、『あまちゃん』はまぐれで高視聴率を獲得したわけではない。小ネタを理解できるか否かなどは関係のない、多くの人を虜にする魅力があったからこそ、大衆の支持を得たはずなのだ。
絶賛の声に調子づくほどクドカンがお人好しではないのが救いだが、優秀な作家をダメにしてしまう状況は考えものである。
(酒井まど)
最終更新:2014.12.07 08:04