『察しない男 説明しない女 男に通じる話し方 女に伝わる話し方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)
半年近く前の話題だが、塩村文夏都議会議員に「産めないのか」とヤジを放った鈴木章浩議員、そのヤジも去ることながら、同様にいただけなかったのが、釈明会見での「本当にしたくても結婚がなかなかできない方の配慮が足りなかった」発言。おそらくご本人は、未だにこの釈明の何が問題だったのか、お気づきではないのだろう。
その鈍感っぷりを証明したのが『正論』9月号の座談会。「ヒステリックなセクハラ決めつけは少子化日本の重要な問題を見失わないか」と題して、麗澤大学教授・八木秀次、ジャーナリスト・細川珠生と共に登場。八木に「(産めないのか発言のような・引用者注)たいしたことないことでも、物理的に体を触ったり卑猥なことをしたり、そういうことと同じカテゴリーでくくられると、世間のイメージは途端に悪くなるからです。鈴木議員もダメージを受けたのではないですか」と励まされており、それに対して鈴木も「支持者の方には、『よくよく考えれば、たいしたことないじゃないか』と言われることが多いです。ありがたいことに。」と、すっかり居直っている。
お三方には、「男女雇用機会均等法」にあるセクハラの定義、「職場において行なわれる性的な言動で女性労働者の対応によりその労働条件につき不利益を受けること、またはその性的な言動により当該女性労働者の就業環境が害されること」を送るが、「正論」以外を総じて「異論」とする風土の中では、聞く耳をお持ちいただけないだろう。
先の鈴木議員のような「そうはいっても女は結婚したがっている」、八木教授のような「セクハラが過剰でむしろダメージを受けているのは男のほうだ」という論旨は、どれだけ女性の社会進出が叫ばれようとも根強い。この手の古い性差ってどこで培養され、更新され続けているのかと思いあぐねていたのだが、リテラ編集部から渡された一冊、五百田達成『察しない男 説明しない女』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を開いて、なるほどそうか、この手のビジネス本が諭す「男女格差あるある」にも一因があるのではと気付いた。
著者は元・博報堂のキャリアカウンセラー。本書の版元HPには「11万部突破」とあるから、ビジネス本としてかなりのヒット作と言えるだろう。自身の仕事は、本書によれば「人間関係を『まろやか』に変えるお手伝い」だそう。男女の違いを37項目にわたって区分けしていくのだが、あまりのステレオタイプの連発に卒倒してしまう。鈴木議員の「女性は皆、結婚したがっている」的な干涸びた前時代の定義を、そのままコミュニケーションにおけるメソッドとして振りかざしてくる。いくつか紹介してみよう。
「女性の『涙』ですが、これは汗のようなものだと思ってください。『泣いてるのに放っておけない』と思うかもしれませんが、特に意味はなく、女性たちは悲しんでいるわけでも怒っているわけでもありません」とのこと。絶句。
「家事や子育ては女に向いている行為。女性の脳は、右脳と左脳の連結が強い『マルチタスク』。論理的な思考と直感的な思考が同時に必要とされる複雑な作業を同時進行するのに向いています」。なので、「洗濯機を回しながら朝食をつくり、子どもが元気よく、ちゃんと食べているか観察して、夫に忘れ物がないか確認し、横目でニュースを見る……というような、お母さんが普通に行なっている作業は、脳が『マルチタスク』だからこそできる」とのこと。絶句。