『ハローキティの“ニーチェ” 強く生きるために大切なこと』(朝日文庫編集部/朝日新聞出版)
誰でも知っているサンリオのキャラクター、ハローキティ。彼女は仕事を選ばないことでも有名である。全国、いや世界の各地に飛んでいって体当たりのコラボを行う営業努力は涙ぐましいばかりだ(私のお気に入りは、博多祇園山笠とコラボしたフンドシ姿である)。
さて、キティちゃんとはまったく違う分野のキャラクター(?)だが、19世紀ドイツの異端哲学者フリードリヒ・ニーチェの活躍も負けてはいない。ご本人は当然100年以上前に亡くなっているのだが、近年になって「超訳」というかたちで蘇り、深遠な自己啓発作家として快進撃を続けている。白取春彦・編訳『超訳ニーチェの言葉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)は、哲学書としては異例の100万部を超える大ヒットとなった。続編も好セールスを記録しているようだ。
そして本年、その仕事を選ばない二大巨頭というべき二人がタッグを組み、『ハローキティの“ニーチェ” 強く生きるために大切なこと』(朝日文庫編集部/朝日新聞出版)なる書物が刊行された。あの気むずかし屋ニーチェの代表作『ツァラトゥストラかく語りき』のエッセンスを、キティちゃんがやさしく語るというのだ。一体全体なんなのか? 今回はこれについて考えてみたい。
まず最初に、自己啓発風ニーチェが誤読の産物であることを指摘する。そして、なぜいまキティちゃんがニーチェを語らなければならないのか? なぜニーチェはキティちゃんの助けを必要とするのか? という、より具体的な問いに答えよう。
さて、実際に『ハローキティの“ニーチェ”』を覗いてみる。この本は、(ニーチェを解釈した)キティちゃんの言葉とともに、その「典拠」となる『ツァラトゥストラ』の本文(岩波文庫の氷上英廣訳)を掲示するという、ある意味「手堅い」体裁になっている。読んでみると、たしかにいいことがたくさん書いてある。また、キティちゃんの解釈も当たらずとも遠からずといった感じで、それほど外しているとも思われない。つまり、よくできている。
例えば、キティちゃんは「あなたが願いさえすれば、人生はきっと、思いのままに歩くことができる」と語る(14頁)。この言葉の典拠として挙げられているのは、「意志することは、解放する、自由にする」(『ツァラトゥストラ』第二部「至福の島々で」)といった具合。一事が万事この調子で、字面だけを見れば、キティちゃんのパラフレーズ能力はなかなかのものである。
しかし、だからといって万事OKかというと、もちろんそんなことはない。まず最初に(ネタにマジレス的に)指摘できるのは、これが明らかな誤読であることだ。ニーチェは、というか一般に古典の文章は、字面を既成観念に当てはめていけば理解できるというものではない。とくに哲学者が用いる概念(例えば例文にある「意志」「解放」「自由」)は、独自の思考世界のなかで独自の位置を占めているのであり、それを十分に理解するためには、作品が成立した歴史的文脈や思想状況なども検討しなければならない(時代が離れていればなおさらだ)。これは別に専門の研究者でなくとも、本当は誰にでもわかることだ。どんな言葉も、それが口にされた文脈、発信者の意図、受信者の理解や伝播といった状況を抜きにしては、十分に理解することはできないだろう。