そして何度か読み返すうちに、この技術の魔法を解く鍵は、常に「人間とは何か?」という問いかけにあることに気づかされていく。ユマニチュードは、このとてつもなく漠然とした、根源的な問いかけの中から生み出された技術だからこそ、普遍的で強度があるのだ、と。
《ユマニチュードの理念は絆です。人間は相手がいなければ存在できません。あなたがわたしに対して人として尊重した態度をとり、人として尊重して話しかけてくれることによって、わたしは人間となるのです。わたしがここにいるのは、あなたがここにいてくれるからです、逆にあなたがここにいるのも、わたしがここにいるからです。わたしが誰かをケアするとき、その中心にあるのは「その人」ではありません。ましてや、その人の「病気」ではありません。中心にあるのは、わたしとその人との「絆」です。》(同書)
そう、まさに、ユマニチュードは哲学なのだ。しかし、誤解してはならないのは、これはあくまでも、哲学に基づく〈技術〉であって精神論とは異なるということ。だから、適性や優しさの問題にすり替えてはいけない。極端にいえば、愛情を持てない相手にでも、この技術を使って人間としてきちんと向き合えば、相手を怖がらせる事もなく、威圧する事もなく、絆を築けるのだ。優しくなくても優しくなれる。ケアする側も育てられる技術ともいえる。
この技術をうまく習得すれば、認知症ケアだけでなく、あらゆる局面のコミュニケーションに応用することができるかもしれない。
しかし、何度も言うようだが、〈正面から目をみてやさしく話しかけるだけで〉〈力を入れずにそっと支えるだけで〉、認識能力が落ち、心閉ざした人がみるみる変わっていくなんて驚きではないか。同書はいう。
「この本には常識しか書かれていません。しかし、常識を徹底させると革命になります。」
そう。私たちはしょっちゅう「常識」という言葉を口にしながら、実はその常識を本気で実践しようとしてこなかったのかもしれない。介護技術の入門書ながら、いつのまにかそんなことまで考えさせられていた。「ユマニチュード」はやっぱり哲学だ。
(森 野立)
最終更新:2015.01.19 05:43