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親権を手放した中山美穂への“母親失格”攻撃は女性差別だ!

 当初は辻に対して「経済的に妻に依拠しているダメ夫」「長髪のキモい中性化」などと批判していたマスコミだが、親権を中山ではなく辻がもつことになった途端に手のひらを返したような対応なのだ。
 
 もちろん、この背後には、先日、本サイトで指摘したような中山の庇護者・バーニングプロダクションの対応の変化もあるだろう。バーニングはコントロールのきかなくなった中山を見放し、芸能マスコミに対しても報道規制をかけなくなっている。しかし、その論調を見るとやはり、メディアの変化は親権問題が一番の要因になっているのは間違いない。

 だが、中山美穂が親権を手放したことはそんなに悪いことなのだろうか。そもそも親権とは両親の権利ではなく、「子供のため」の権利だ。子ども自身の希望だけでなく、その生活や将来にとってどちらが有益かということも考慮される。

 中山・辻夫妻の場合、生活の拠点がフランスにあった。息子もフランスで育ち現地の学校に通っていた。息子の今後の生活にとっては、日本で女優活動を本格始動させる中山よりも、離婚後もフランスにとどまる辻のもとにいるほうが都合がいい、そういう判断だった可能性も高いのだ。

 いずれにしても、中山・辻夫妻が子どもの意思とその将来を考えて決断したことなのだから、外野があれこれ非難するような問題ではない。だが、中山へのバッシングを見ると、「母親のくせに」という“感情論”ばかりが先行している気がするのだ。

 おそらくこうした批判の根底に横たわっているのは、“母性神話”である。子どもを守り育てるのは母親の役割であり、母親も子どもの側にいるのが一番幸せだという価値観だ。

 だが、この母性は本能などではない。フランスを代表するフェミニストで、歴史家でもあるエリザベット・バダンテールは1980年に発表した『母性という神話』(ちくま学芸文庫)で、母性は18世紀頃につくられた神話であるとして、こう批判した。

「女は母親という役割に閉じ込められ、もはや道徳的に非難されることを覚悟しなければ、そこから逃れることはできない」
「人はこの母親の任務の偉大さや高尚さをたたえる一方で、それを完璧にこなすことのできない女たちを非難した。責任と罪悪とは紙一重であり、子どもにどんなわずかな問題点があらわれても入れかわるものだった」

 中山美穂は今、まさにこの“母性神話”によって、非難にさらされているのではないだろうか。

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