いや、それ以前に、そもそも小説や映画のような芸術作品にたいしてモラルをもちだして批判するのは少しちがうのではないか、という気がするのだ。
これまでの文学の歴史をふりかえっても、多くのインモラルな作品が世界的な評価を得てきた。近親相姦をあつかった作品では、古くはギリシャ三大悲劇のひとつである『オイディプス王』や平安文学の代表『源氏物語』、ミルトンの『失楽園』などの古典的名作から、中上健次の『枯木灘』や『岬』、アーヴィングの代表作『ホテル・ニューハンプシャー』、ノーベル賞を受賞したガルシア・マルケスの『百年の孤独』など現代文学に至るまで数々の作品がある。直木賞選考委員でもある平岩弓枝の『日野富子』も母子相姦を描いている。
近親相姦に限らずインモラルな題材を扱った小説や映画は多くある。たとえばカニバリズムを扱った『コックと泥棒、その妻と愛人』、中学生たちが殺し合う『バトルロワイヤル』、阿部定事件を題材にした『愛のコリーダ』、キューブリックの『時計じかけのオレンジ』……、三島由紀夫の小説にもそうした題材は少なくない。
こうして見ると、むしろ、モラルの向こう側にある人間の情欲や闇を描くことが、作品に普遍性やアート性をもたせてきたことも否定できない。
テレビのような誰でもアクセスできるメディアはともかく、映画や文学については、別の次元で考えるべきだと思うのだが、みなさんはいかがお考えだろうか。
(酒井まど)
最終更新:2018.09.27 01:08