当然、セクハラも多い。2013年10月には「週刊朝日」元編集長がセクハラで解雇されたことがあったが、他にも表沙汰にはなっていないが、同様のトラブルは頻発しているし、言葉のセクハラなどはそれこそ日常的に横行している。つまり、一連の記事は、そうした環境をおびやかされそうになったオヤジたちの自己保身のあらわれではないのか。自分たちにとって居心地のいい世界を守るために、“男女平等”という世界基準の価値観を攻撃し、告発の動きを封じ込め、女性を萎縮させておきたい。そんな深層心理が働いている気がしてならないのだ。
「レイプされた側にも責任がある」
こうした卑劣な男のいい分が長らく世間の常識とされてきた。今回のセクハラやじ問題やメディアの報道は、この構造とまったく同じだ。そして一連の塩村報道はメディアによるセカンドレイプ、セカンドセクハラだといってもいい。
マスコミのオヤジたちも、心根は鈴木議員と同じ。そう断罪するのは言い過ぎなのだろうか──。
(神林広恵)
最終更新:2017.12.07 07:29