その姿勢の酷さは、同じく芸術家として五輪イベントに携わってきた演出家・宮本亞門氏と比較すれば一目瞭然だ。宮本氏は組織委が主催するイベントでモデレーターを務めたりコンサートの企画・構成を手掛けるなど東京五輪にかかわってきたが、コロナ感染が拡大して以降、開催中止を呼びかけるように。さらに5月に東京新聞がおこなったインタビューでは、あらためて中止を訴えただけではなく日本政府やIOCを真っ向批判。こう口にしている。
「IOCや政府の利己的な考えは、「他人のことを思う」という利他的な精神と正反対。国民はその間で心が引き裂かれています」
「2013年の招致決定当初、「世界一お金がかからない五輪」や「復興五輪」といった発言を信じようとした。これだけ政府が断言するのだから、と。17年には大会の公式イベントの演出を引き受けた。しかし大会経費は倍以上に膨れ上がり、福島第一原発事故の後処理も進まない、全て誘致のための架空のものだった。悲惨な現実を見て「何ということに加担してしまったんだ」と罪悪感にさいなまれました」
芸術家として東京五輪の開催に加担したことへの罪悪感を語る宮本氏に対し、「五輪は非常に素晴らしい、感動的」と言うばかりか、国民の命を軽視する組織委の態度を目の当たりにしても「組織委とIOCは議論し尽くしている」などと擁護までおこなう河瀨氏。一体どちらがまともかははっきりしているだろう。
じつは、組織委会長だった森喜朗氏の女性差別発言が問題になった際、その釈明会見の様子を河瀨氏が撮影していることがわかると、ネット上では公式記録映画に期待を寄せる声もあがった。だからこそ、今回のこうした河瀨氏の発言に意外な感想をもった人も少なくないと思われるが、実際には河瀨氏がこうなるだろうことは、最初からわかっていたことでもある。
以前から河瀨氏の作品はスピリチュアルへの傾倒が指摘されてきたが、そんな河瀨作品に惚れ込んだひとりが安倍昭恵氏で、2015年には自ら河瀨氏と対談したいと「AERA」(朝日新聞出版)に企画を持ち込み、実際に対談もおこなっている。
さらに、安倍晋三・前首相が昵懇だった俳優の津川雅彦氏を統括に据え、津川氏の国粋主義や日本スゴイ思想も盛り込まれたパリでの展覧会「ジャポニスム2018」にも河瀨氏は参加しており、作品が特集上映されている。河瀨氏が東京五輪の公式記録映画の監督に就任したと発表されたのは、この「ジャポニスム2018」で特集上映が開始される1カ月前のことだった。
こうしたことから、「安倍夫妻の覚えめでたく河瀨氏に五輪映画の監督の白羽の矢が立ったのでは」という声も上がっていたのだが、それも頷けるのは、河瀨氏のこれまでの発言やスタンスに、安倍前首相やその取り巻きが大好きな右派思想との親和性が感じられるからだ。