五輪批判を“コロナ禍の不安や不満をぶつけている”と八つ当たり扱いする河瀨監督
だが、さらに言葉を失ったのはこのあと。河瀨氏は「反対派の意見の人の取材も進めています」と言い、「私自身の取材、公式映画というのは、いま時事ニュースとしてみなさんに何かを伝えるということ以上に記録する意義があって」と前置きし、その「意義」をこのように語り出したのだ。
「オリンピックっていうのは人類の祭典です。世界中から見て、いまこのパンデミック下で日本が開催国で、8年ほど前にこれを招致した日本で、私たち国民がいまどういう一歩を踏み出すのかということがとても重要なので。いまパンデミックであるということで私たちの日常が脅かされているというような、そういうことと、それから、その不安をオリンピックにぶつけるという不満というのは、少し棲み分けないといけないと思っています。つまり、アスリートがしっかりとこのオリンピックのなかで自分のプレーをやるということを誇りに思うということを、大きな声で言えないことの悲しみというのはあると思います」
いま、これだけ反対論が巻き起こっているのは、人命を守ることよりもスポーツ大会の開催が優先されることに対する怒り、不条理に対してだ。だが、河瀨氏は、反対する人は“コロナ禍の不安や不満をぶつけている”と、まるで五輪に八つ当たりしているかのように語ったのである。
映画監督として人間の複雑な心の機微を捉えることはおろか、あからさまな不条理を押し付けられている人びとの心情さえ捉えられない……。もはやその世界的な名声にも疑問符をつけたくなるような発言だが、そうやって問題を敵/味方に分断した挙げ句、またもアスリートにだけは寄り添い、「誇りに思う気持ちを大きな声で言えない悲しみ」などと同情を寄せたのである。
もうここまでだけでも河瀨氏の認識の酷さは十分に伝わるかと思うが、忘れてはいけないのは、河瀨氏がここで問われていたのは「観客を入れて開催することの是非に対する見識」だ。そこで番組MCの加藤浩次は「お客さんって河瀨さん、どうすればいいと思いますか?」と話題を巻き戻したのだが、すると河瀨氏は、元マラソン選手の増田明美氏の発言を引用して、またもこんな主張をした。
「観客は、私は、アスリートにとっては、絶対にいらっしゃったほうが。これは、えっと、増田明美さんがこないだの札幌のマラソンのときに来られていたので、メダリストのOBとして言われていたんですけど『観客がいることで3センチ足が上がる』って言っていたんですよ(笑)。アスリートにとってそれって、もう、なんていうのかな、命です。観客は。うん。だから(観客は)入ったほうがいい」
そして、「でも、感染が拡大する可能性がある。だったらどうすればいいかっていうことを、みんなで話し合ってください」と言うと、こうつづけた。
「こういう情報番組でも、やっぱり一方的なこういう、なんていうのかな、映像とかをどんどんネガティブなほうに出していけば、国民のみなさんはいま観ていたら、すごい不安になると思う。不安になるからTwitterとか、そういうSNSで『怖い、怖い』『やめよ、やめよ』っていうふうになる。だけど、招致したのは日本です。日本が、いま日本が世界から見られている。で、どういうふうにして開催したのか、もしくは開催しなかったのかということは、今後の日本を、日本の評価を決定づけられることは間違いない」