こうした反応は当然だろう。あらためて説明するのもはばかられるが、「セーラー服を脱がさないで」の〈週刊誌みたいな エッチをしたいけど 全てをあげてしまうのは もったいないから…あげない〉〈おばんになっちゃうその前に おいしいハートを…食べて〉といった歌詞は、性搾取や処女信仰、エイジズムなど、女性蔑視の見本市のようなフレーズのオンパレードだ。
また、歌詞以上に問題なのは、秋元康という年齢も地位も上にある男性が、こんな曲を“歌わせている”ということだ。「女子高生が性的欲望をカジュアルに口にする」という先進性を装って、実際は男性が自らの欲望のはけ口として搾取・消費している、その構造はとてつもなくグロテスクなものだ。
ところが、秋元康や日本テレビは2020年のこの時代に「女性アイドルメドレー」にわざわざこの歌を選び、乃木坂46という、同じ秋元プロデュースの現役アイドルグループに歌わせた。いったいどういう神経をしているのか。
いや、考えてみれば、それは秋元や秋元に付き従う運営やテレビ局にとって、なんの違和感もないことなのかもしれない。
たしかにあれから35年経ったが、秋元康とその周辺の差別的本質はまったく変わっていないからだ。秋元はつい最近まで、女性蔑視の詰まった歌詞を、自らがプロデュースするAKBグループや坂道グループに歌わせてきた。
たとえば、今回「セーラー服を脱がさないで」を歌わされた乃木坂46の歌も女性蔑視として炎上したことがある。2017年にアメリカで記録的な大ヒットとなっている女性解放運動とも縁深い映画『ワンダーウーマン』の日本版イメージソングを乃木坂46が担当することになったのだが、そのタイトルが「女は一人じゃ眠れない」というものであり、『ワンダーウーマン』という作品の意義を知っているアメコミファンや映画ファンから大反発を招いた。
また、2016年4月にリリースされたHKT48のシングルのカップリング曲「アインシュタインよりディアナ・アグロン」でも、〈難しいことは何も考えない 頭からっぽでいい 二足歩行が楽だし ふわり軽く風船みたいに生きたいんだ〉〈女の子は可愛くなきゃね 学生時代はおバカでいい〉という女性蔑視丸出しの歌詞をつけ、厳しい批判を受けた。
さらに2017年には欅坂46のアルバム『真っ白なものは汚したくなる』に収録されている楽曲「月曜日の朝、スカートを切られた」で、スカートを切られた女性が「悲鳴はあげない」よう抑圧するような歌詞を書き、大きな批判を浴びたことがある。
そういう意味では、秋元やテレビ局が今回、女性蔑視の原点でもある「セーラー服を脱がさないで」を乃木坂に歌わせたというのは、当然の流れともいえる。