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村上春樹がエッセイ『猫を棄てる』を書いたのは歴史修正主義と対決するためだった! 父親の戦中の凄惨な中国人虐殺の記憶を…

 村上春樹が、戦争責任・歴史修正主義について語ったのは、『猫を棄てる』がはじめてでも、『騎士団長殺し』がはじめてでもない。

 たとえば、2015年に共同通信のインタビューで「歴史認識の問題はすごく大事なことで、ちゃんと謝ることが大切だと僕は思う。相手国が『すっきりしたわけじゃないけれど、それだけ謝ってくれたから、わかりました、もういいでしょう』と言うまで謝るしかないんじゃないかな。謝ることは恥ずかしいことではありません。細かい事実はともかく、他国に侵略したという大筋は事実なんだから」と、加害責任にどう向き合うべきかについてかなり直接的に語っている。

 あるいは、2016年年10月30日、デンマークで開かれたハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞の授賞式のスピーチでも、アンデルセンの『影』という小説を引きながら、こんなことを語っている。

〈影と向き合わなければならないのは、ひとりひとりの個人だけではありません。社会や国家もまた、影と向き合わなければなりません。すべての人に影があるのと同じように、すべての社会や国家にもまた、影があります。明るく輝く面があれば、そのぶん暗い面も絶対に存在します。ポジティブな部分があれば、その裏側には必ずネガティブな部分があるでしょう〉

〈どんなに高い壁を築いて侵入者が入ってこないようにしても、どんなに厳しく異端を排除しようとしても、どんなに自分の都合にいいように歴史を書き換えようとしても、そういうことをしていたら結局は私たち自身を傷つけ、滅ぼすことになります。影とともに生きることを辛抱強く学ばなければいけません〉

 具体的に名指しはしていないものの、この春樹のスピーチは、排外主義を標榜するドナルド・トランプ大統領(当時は候補)の登場、歴史修正主義を貫く安倍晋三首相、そして彼らを支持する人々をあきらかに意識したものだった。

 ところが、村上春樹のこうした、歴史修正主義を批判する発言をきちんと報じるメディアはあまりに少ない。『騎士団長殺し』が出版された際も、その驚異的な売り上げや小説の謎解きなどいつものように盛り上がる一方で、歴史修正主義の問題に踏み込んだ論評はほとんどなかった。恐らくはネトウヨや極右論客からの攻撃を恐れて、戦争加害や歴史修正主義批判について語ることが、ほとんどタブー化しているのだ。村上春樹ほどの作家の発言を前にしても、ほとんどのメディアが尻込みし沈黙してしまうほど、日本の歴史否認が深刻化していることの証左だろう。

 しかし、だからこそ、村上春樹は繰り返し語り、小説を発表してきた。そして、今回、これまで書いてこなかった父について綴ったのだ。

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