ハラスメント・性的抑圧を受け、尊厳を傷つけられたという女性の受けた被害より、結婚制度のほうが重大とは、価値観が倒錯しているとしか言いようがない。妻の既得権益ばかりがやたら強調される一方で、いちばん弱い立場にある不倫相手の女性の人権が完全に無視され、平気で蹂躙されているのだ。
しかも、この差別は女性に水商売やセクシー女優などの肩書きがあったり、性のはけ口的な役割を担わされていたりすると、バッシングはさらにエスカレートする。今回、渡部が「デートクラブのように安全に遊べる子たち」「彼女たちは接待で政治家や力士やプロ野球選手の集まりに行ったりしている」などと語ったのも、こうした差別やバッシングを喚起する非常に卑劣なやり口だ。
こうしたバッシングは、当該女性を傷つけ追い詰めるだけではない。
声をあげる女性に対して「おまえも加害者だ」「自分も不倫をしたくせに」などとバッシングされる状況を許したら、それこそ女性は自分にも罪があると思い込ませられ、どんなに理不尽な行為をされても、声をあげられなくなるだろう。そして、結果的に男は結婚制度を隠れ蓑にして、やりたい放題できる状態になってしまう。実際、既婚男性からセクハラ被害を受けた女性が、逆に妻から訴えられるという事例もある。
不倫バッシングに対する反動として語られる「妻が許せばいい」「家族の問題」などという言説は、男尊女卑の価値観をベースにした結婚制度過大視をベースにしているという意味で、結局不倫バッシングと同根の裏表でしかない。「許せない妻は度量が狭い」という家父長制丸出しの妻バッシングにだって、容易に転化しうる。
男性だけでなく、女性のなかにも妻の既得権益をふりかざして相手女性を非難する者もいるが、この男尊女卑の価値観をベースにした結婚制度過大視は、DVやモラハラなどの隠れ蓑にもなるものであり、既婚女性をも抑圧するものだということに気がつくべきだ。
何より、「家族の問題」「妻が許せば、他人が口出しすべき問題ではない」などという言説のもと、相手女性の人権が蔑ろにされ、「ハラスメント」「女性差別」というこの渡部問題の本質が覆い隠されることがあってはならない。渡部のみならず、渡部のような女性を蹂躙する行為を許容する日本社会の女性差別構造そのものが問われるべき問題だ。
(本田コッペ)
最終更新:2020.06.26 04:19