番組ではさらに「ポスト全体主義」の思考停止の危険性を、『力なき者たちの力』における青果店店主の話を紹介しながら、解説した。
〈青果店の店主は、「全世界の労働者よ、一つになれ!」というスローガンをショーウィンドウの玉ねぎと人参のあいだに置いた。なぜ、彼はそうしたのだろう?〉
〈そうすることで、世界に何を伝えようとしたのか? 世界中の労働者が団結するという考えにほんとうに熱狂していたのだろうか?〉(『力なき者たちの力』)
「みんながやっているから」「わざわざ断るのも面倒だから」「別にこれくらい些細なこと」青果店主は、とくにスローガンの意味など深く考えることもなく、オートマティックにスローガンを置いただけかもしれない。
しかし、ハヴェルは、「労働者」や「国」という大きな主語のスローガンのもと、「私」が覆い隠されていくと批判した。スローガンを隠れ蓑に、自分自身の理性や良心、責任で考え判断することを放棄することにつながる、と。
そして、青果店店主以外の人々も「みんながやっているから」「断るのも面倒だから」とスローガンを置き、そうすることで、スローガンは日常のなんでもない風景となり、互いに権力を受け入れるよう強制し合うことになると指摘した。
これもまた、いまの日本で起きていることではないか。「全世界の労働者よ、一つになれ!」というスローガンの代わりに、現在の日本では「国益」「国民一丸」「日本全員団結」「日本の心」「絆」「one team」などといったスローガンが声高に語られ、それが圧力となって、人々を支配している。
実際、番組で阿部氏は、ハヴェルが体制からの要求を察知し、盲目的に行うことを「オートマティズム=自発的な動き」と呼んでいたことを紹介し、いまの日本社会における「忖度」「空気を読む」という行為との共通性を指摘していた。
さらに阿部氏は、ハヴェルが挙げた「ポスト全体主義の特性」のひとつとして、「消費社会」との関係について解説する。
「先ほどの青果店の店主もスローガンを飾れば当局からの介入を逃れて、とりあえずは給料はもらえる。良心、責任という倫理的なものと引き換えに物質的な安定を手に入れていると言えると思います。まあ言葉を変えれば、これは同調圧力とも言えると思うんですよね。本当のことがあったとしても、それは言えなくなってしまう。というのが、ある種連鎖していくということだと思います」