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【2019年読まれた記事】「佐藤浩市が安倍首相を揶揄した」は言いがかりだ! 俳優の役作りまで検閲する阿比留瑠比、百田尚樹ら安倍応援団

 いったい、これのどこが「安倍首相を揶揄すること」なのだろうか。たしかに安倍首相は第一次政権の放り出しを後になって潰瘍性大腸炎という持病のせいにしたことがあるし、第二次政権では昭恵夫人の用意した水筒にぬるま湯を入れて国会などにも持ち込んでいることも有名で、こうしたディテールは安倍首相を彷彿とさせるかもしれない。

 しかし、佐藤の演じる首相は安倍首相とはかけ離れているものだ。佐藤の演じる総理大臣は前述したように、国民に対する責任を感じ、逡巡、苦悩を抱えているが、安倍首相はそんなものとは無縁で、国民や自衛隊員が犠牲になることを躊躇うどころか、むしろ積極的に「血を流せ」と煽るような好戦的な人間だ。実際、「わが国の領土と領海は私たち自身が血を流してでも護り抜くという決意を示さなければなりません。そのためには尖閣諸島に日本人の誰かが住まなければならない。誰が住むか。海上保安庁にしろ自衛隊にしろ誰かが住む」「まず日本人が命をかけなければ、若い米軍の兵士の命もかけてくれません」(「ジャパニズム」青林堂、2012年5月号での田久保忠衛・日本会議会長との対談)などという言葉を口にしたこともある。

 ようするに、両者は「胃腸が弱い」「水筒を持ち歩いている」という表層のディテールが似ているだけで、その背景は似ても似つかない。佐藤が演じる総理大臣が安倍首相をモデルにしているなどというなら、逆に「安倍首相を美化している」と文句をつけたいくらいだ。

 それを表層のディテールだけを取り出して、「安倍首相をバカにしている」などとイチャモンをつけるのは、『空母いぶき』がどうというより、そもそも映画や芸術表現をまったく理解していない。

 戦争をするかどうかというレベルの重大な決断にいたるまでに為政者が逡巡し苦悩するプロセスを描くことは、イデオロギー関係なくごく自然なことだろう。むしろそんな描写をすっ飛ばしたような作品は、反戦ものだろうが、戦争ものだろうが、作品としてリアリティも説得力もない低レベルなものにしかならない。

 見城や百田は「思想的にかぶれた役者」「表現より政治信条を上位に置くんだ?」「安っぽい主義主張」などと佐藤の発言を批判しているが、思想にかぶれているのも、表現より政治心情を上位に置いているのも、安っぽい主義主張をがなり立てているのも、安倍応援団のほうだ。

 安倍さまの意向にかなっているかどうか。すべての物事をそれでしか判断できない。1ミリでも安倍首相のマイナスに感じさせるようなことは片っ端から叩かないと気が済まない。この安倍さま至上主義のほうこそ、北朝鮮そっくりではないか。

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