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本人は「ウヨじゃない」というが…吉本芸人「ほんこん」のサムすぎるネトウヨぶり! 安倍応援団化は売れない芸人の再生装置か

 しかし、ほんこんは、今のようにネトウヨばりの極論を振りかざす芸人ではなかった。というか、政治や社会問題に言及するようなタイプですらなかった(まあ、ほんこんの論理で行けば、だからほんこんなんて芸名をつけたのだろう)。それが、なんでこうなったのか。ちょっと振り返ってみれば自ずと見えてくる。

 もともと、1990年代に相方の板尾創路とともに人気番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』のレギュラーを務めた頃、ほんこんの芸風(唯一の持ちネタと言ってもいい)といえば、自分で「ブサイク」であるということをウリにし、周囲からイジられるというものだった。知名度は全国区レベルになり、それなりの人気も得た。

 ところが、『ごっつ』が終わってからというもの、ほんこんの存在感は消えてしまった。もともとコンビで何かをすることが少なかった130Rだが、相方の板尾が“個性派俳優”としての進路を見つけ、独特の地位を築いていったのとは対照的に、せいぜい「ブサイクネタ」ぐらいしかネタがなく、トーク力もイマイチだったほんこん。有り体にいえば、お茶の間から飽きられてしまったのだろう。

 そんなほんこんが、いつのまにか「保守系」の主張を雑にぶちまけるコメンテーターとして再生し、「正論」のような極右雑誌からラブコールがかかるまでになった。まさしく“ネトウヨ文化人”として復活したケント・ギルバートを彷彿とさせるパターンである(参考
https://lite-ra.com/2015/12/post-1761.html)。

 つまるところ、「ネトウヨ言論人」や「安倍応援団」というのは、フェイドアウトしかけた芸能人や文化人が復帰するのにお誂え向きの舞台なのだろう。それは、彼らの議論の雑さや言論の質の低さからもわかる。民主党政権が倒れ、安倍政権が権勢を振るうなか、反権力的なリベラルよりも政府に睨まれない保守系のほうが、メディア側は扱いやすい。政権から陰に陽に圧力を受け続けているテレビ局ならなおさらだ。

 そうした連中は一様に「国を愛する気持ちを語って何が悪い」とか「自分はリベラル派とは違って空気を読まない」とか「誰にも忖度せずに正論を言っているだけ」などと嘯く。なにか「タブー」を打ち破っているかのような話だが、実際にはまったくの逆だ。

 第二次安倍政権以降、強力すぎる安倍政権を援護し、野党を適当に叩きさえすれば、簡単に「勝ち馬」に乗れる。メディアからも声が掛かる。どんなに議論が雑で教養がなくても、いっぱしのコメンテーター扱いされ、論壇誌に呼ばれたり、本だって出せてしまう。そうした状況が「安倍応援団」と呼ばれる文化人やコメンテーターを急増させているのだ。

「愛国心とはならず者たちの最後の逃げ場である」という警句がある。だが、「ネトウヨ文化人」たちに文学的な言葉はふさわしくない。連中はもっと単純だ。「愛国」とはビジネスである。「保守」とはお追従である。「正論」とは安倍晋三賛歌である。いいかげんにしろ。

最終更新:2019.12.29 05:46

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