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「表現の不自由展」再開で立川志らくと竹田恒泰がそっくりな“小学生以下”妄言!「だったら殺人も核戦争も『表現の自由』か」

 だが、こんな妄言を吐いているのは竹田氏だけではない。たとえば、すっかり“安倍応援団ジャーナリスト”となってしまった門田隆将氏も〈人を傷つ
けたり、尊厳を踏みにじったり、嘲笑ったりするものが芸術として税金で展示されるなら、日本は幼児ポルノでもカニバリズム作品でも何でも認められる事になる〉(10月11日)とツイート。こういう時には必ずツッコミどころ満載の暴言を吐く百田尚樹氏もやはり、〈芸術という看板を掲げれば、何を表現してもいいわけではありません。そんなことが「表現の自由」として認められるなら、アート作品と銘打って、人種差別や民族ヘイトなど、なんでも可能になります〉(8月9日)などと投稿してきた。

「人種差別やヘイトも可能になります」って、中国、韓国への人種差差別を口にし、犯罪が起こるたびに「在日の仕業」などとヘイト発言をしてきたのは百田自身ではないか。

 しかも、百田氏と門田氏は、9月3日の『真相深入り!虎ノ門ニュース』(DHCテレビ)で、「週刊ポスト」(小学館)が韓国人ヘイトの特集を組んで炎上した件について、「読みました。全然ヘイトでもなんでもないですね」(百田)、「日本では韓国への批判はヘイト(と言われる)。日本批判、日本を貶めるのは表現の自由という二重基準があります」(門田)などと意気投合していた。

 つまり、彼らに言わせれば、「韓国人への差別を扇動する言説」はヘイトスピーチではなく「表現の自由」であり、逆に「日本の権力や権威への批判」がヘイトスピーチになるらしい。

 なんという倒錯。こいつらは、表現の自由が民主主義を成立させる基盤として生まれた権利であり、自国の権力や権威に対して自由に批判できることこそが本質であることをまったく理解していないのだ。いや、理解していないのでなく、わざと混同させて、権力や為政者に対する批判を「不敬」「権威を傷つける」という理由で取り締まることのできる、戦前のような国家に戻したいのだろう。

 まったくタチが悪いとしか言いようがないが、それでもヘイト雑誌『WiLL』(ワック)や『Hanada』(飛鳥新社)常連の極右論客がほざいているだけなら、まだ「こいつらバカか」と呆れるだけですむ。問題は、地上波の情報番組MCを務める人間までが、この連中とそっくりな幼稚な妄言を口にしていたことだ。

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