まず、9月4日には「It’s a small world」の歌詞を貼り付けて〈この歌知ってます? 韓国の話するとキーキー言う人多いね 私が好きなだけで人に迷惑かけてない。好きなものを好きと言う。それだけ。シンプルな話。世界にはいろんな人がいます。気にしないで〉と堂々と宣言した。
また、ネトウヨが有名人を攻撃するときよく使う「ファンだったのに残念」「失望しました。もうファンやめます」といった類のコメントが大島のもとにも多数寄せられたのだが、このやり口にもまったく動じず、こうコメントした。
〈何がですか?私はもともと韓国が好きと言ってるのに今更残念がられても。
日本人だから日本しか好きじゃないとダメなんですか? 地球の外に出たから地球が青いとわかったんじゃないんですか? 外の世界に出てみないとわからないことってたくさんありませんか?〉
〈残念と言う方たちは何をもって残念と言ってくるのでしょうか。私のことフォローしてましたっけ? 普段から応援してくれてコメントくれてましたっけ? 急にこの件について残念がってくるのはなぜですか? そんなに韓国に興味があるんですか?〉
そう、大島は日本で横行する歪なナショナリズムを批判し、「外からの視点」の重要性を強調するシャープな意見を開陳したばかりか、返す刀でネトウヨの“ファンなりすまし攻撃”の手口まで暴いて見せたのだ。
さらに、素晴らしかったのは、韓国の反日的な動きを持ち出し、「これでも“韓国が好き”というのか」と絡んでくる意見への反論だった。
例えば、ソウルの繁華街・ホンデで日本人女性が韓国の男性から髪をつかまれるなどの暴行を受けた事件を持ち出し〈被害にあった人がいる事も事実ですよね。加えて幼い時から反日教育を受けて育ているのもこれまた事実〉などという意見には、大島はこう返していた。
〈それは人間性の問題です。私は日本で男性に声をかけられ怖い思いをしたこともあります。韓国人だから。ではなくどこの国でもその人が危険な人なら危険ということではないでしょうか?〉
この大島の指摘は、まさに個人の犯罪を民族や国民性の問題にすり替えるヘイト的手法の問題点を突くものといえよう。