だいたい、極悪犯罪のように喧々諤々と議論している金銭トラブルだが、これ、小室氏自身の問題ならまだしも、あくまで“母親の”金銭トラブルにすぎない。
意外なことにタカ派の木村太郎が、「親の問題で結婚延期なんて、海外じゃありえない」という旨の発言をしていたが、その通りだろう。実際、昨年イギリスでヘンリー王子と結婚したメーガン妃の兄は、暴力事件で逮捕歴があったが、それで結婚NGとはならなかった。
税金から支度金が払われると言う者もいるが、結婚しなくて皇室にとどまっていてもお金はかかっている。税がかかっているから、「支度金制度を見直せ」というならわかるが、「結婚の自由を制限せよ」というのは明らかにおかしい。
小室氏が皇室を利用しようとしている、とか、あんな男と結婚したら眞子内親王が不幸になるなどという批判も同様だ。もちろん、小室氏が竹田恒泰ばりの“皇族なりたいマン”だったり、小室氏との結婚が結局破綻する可能性もゼロではないだろう。しかし、ロクでもない人間と結婚する自由だって、破綻するかもしれなくても結婚する自由だって、結婚に失敗する自由だって、本来すべての個人にある。
皇族にそれが許されないのだとすれば、それこそが皇室制度そのものの欠陥なのだ。それどころか、皇族を特別扱いする以上、結婚によってその皇室制度を悪用しようという輩が近づいてくる可能性は常にある。いや、結婚相手だけでない。皇族に生まれた人間がひどい人間で、皇室制度を悪用する危険性だってある。世襲をベースにした皇室制度というのは、そういうリスクのある制度だ。
眞子内親王の結婚をめぐる問題は、現代民主主義社会で皇室制度を存続させていることの矛盾であり限界を露呈させており、天皇制がある限り今後も同様の問題は起き続けるだろう。
そして、この制度は、今の社会では、当の皇族をもっとも苦しめている。佳子内親王が今回、卒業に際する文書コメントのなかで「結婚においては当人の気持ちが重要」「姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい」と、「一個人」を強調するかたちで自分の意見を表明したことは高く評価したいが、それは逆にこれだけ強い言葉を口にせざるをえないくらい、皇族が「個人の自由」を抑圧されているということのあらわれでもある。
“一億総小舅・一億総小姑”状態となって、結婚をつぶそうとする世論とマスコミ報道を前に、わたしたちは改めてこの前近代的制度の異常性を認識すべきだろう。
(編集部)
最終更新:2019.03.26 08:49