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三浦瑠麗が松本人志の悪質セクハラ発言を「なんの問題もない」と擁護! 女性にばかり難癖つける三浦の悪質Metoo封じ

 ようするに、松本は芸能界における圧倒的な上下関係のなかで“何を言っても大丈夫”な指原やいとうといった女性に暴言をふっかけているだけで、“決して空気を悪くしない相手”“引導を渡されない相手”を選んでいる。そして、いとうのように松本に迎合した反応をすることは、力関係を考えれば「そう言うしかなかった」としか言いようがない。

 にもかかわらず、三浦は差別発言をおこなった松本を中心にして物事を捉え、〈結論は、若い女の子が「指原さんかっこいい!」と思うロールモデルを提供しているね、ということ以上でもなければ以下でもない〉と、差別発言をした松本を問題にはせず、相手のリアクションに主題をすり替えるのだ。

 何度でも言うが、問題は明確に差別発言をした松本にある。それを、セクハラや性的な暴言を受けた女性側の対処の話にすり替えることは、悪質極まりない。被害を告発した女性に「目くじらを立てるな」「もっと大人の対応があるだろう」などといって差別そのものを矮小化しようとする動きに加担していることにほかならないからだ。

 しかも、三浦は投稿したブログ記事で日本のMetoo運動に言及。アメリカでも被害を告発した女性に対する嫌がらせはあるのに日本は実名の告発の動きが少ないことについて、〈日本女性は、個としての自分を背負って過去に受けた傷を告白する傾向に、どう考えても欠けている〉と指弾し、一方で〈ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)の普及の動きは比較的速い〉として、炎上した問題をこう批判している。

〈SPA!の女子大ランキングを攻撃する人は、女子アナや女性タレント・文化人の胸の大きさ(勝手)ランキングにはなぜ突撃しないのでしょうか。これはダブルスタンダードであり、弱者(=ふわっとしたまとまりとしての顔を持たない女子大生)に味方することで自らの正義や道徳観を振りかざそうという流れであると言われても仕方がないだろうと思います。〉

「週刊SPA!」(扶桑社)の「ヤレる女子大学生ランキング」の問題では、女子学生たちが実名で声をあげ、「SPA!」編集長らとの話し合いもおこなわれた。これは大きな一歩で、多くの女性が「これに怒っていいんだ」と気付くことができたはずだ。今後、三浦が指摘しているような女性蔑視的な企画に対する批判も起こりやすくなるだろう。だいたい「なぜ突撃しないのか」と思うような女性蔑視企画がほかにあるのなら、声の大きい三浦自身がまず声をあげればいい。なのに、そうした女性蔑視企画を批判するのでなく、声をあげる者とそれを支える動きのほうを“ポリコレ棒を振り回しているだけ”と言わんばかりに揶揄するのは、あまりに卑劣だ。

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