しかし、それも当然だろう。国家のコストのために国民を切り捨てるという思想は、古市と落合のなかにもともとあるものだからだ。
二人はただの新自由主義者ではない。根っこにあるのはエリート主義と差別主義。平等や民主主義を邪魔なものと考え、前近代的な差別を肯定しつつ、弱肉強食の競争社会を志向する−−。安倍首相や長谷川豊と同タイプの、もっともグロテスクなリバタリアンだ。
実際、古市の過去のブス差別発言やハーフ差別発言、発表された2編の小説でも、その選民思想はかいまみえる。
また、落合も『日本再興戦略』をはじめとする啓発本で、アカデミックなブランディングからは想像もつかないような、びっくりするほど頭の悪い差別的な日本社会論を連発している。
〈平等という点で、日本人に合わないのは「男女平等」です。日本ほど男女差別がある国は珍しいと思います。男女が合コンに行ったり、飲み会に行ったりすると、当たり前のように男性のほうが女性より多く払いますが、あれは性意識の平等感に反します。〉
〈日本人は、同じ仕事をしたら、公平にお金を払うということには敏感です。しかし、飲み会では男性が女性より多く払う。これは平等意識が低いからです〉
〈もうひとつ欧州発で日本には向いていないものがあります。それは「近代的個人」です〉
〈個人に平等に権利を与えて、全員が良識ある判断をすると仮定して、一人一票を与えたものの、選挙をしてみたら、全員にとって価値のある判断にはなりませんでした〉
〈インドのカーストに当たるのは日本の士農工商ですが、日本は本質的にカーストが向いている国だと思っています。そもそも、士農工商という序列はよくできています〉(すべて『日本再興戦略』より)
賃金より飲み会の会計を重視し、合コンの支払いを根拠に男女平等は日本に合わないと主張。「個人」を否定し、カーストや士農工商こそが日本に向いていると差別制度を肯定する。その差別思想はネトウヨ並みと言っていい。
古市憲寿と落合陽一。おそらく二人はこれから、調子に乗って、さらに差別的な効率至上主義を全開にしていくだろう。警鐘を鳴らす意味でも、本サイトでは、その思想の危険性について稿を改めて詳しく検証したいと考えている。
(編集部)
最終更新:2019.01.01 05:51