そして、女性や被支配者・弱者に対するこうした姿勢と対照的なのが、“大人のエライ男性たち”への同調姿勢だ。
それがよくみえたのが、『ワイドナショー』に安倍首相が出演したときだった。松本から「子ども何人くらいつくろうとしてるの?」と問われた指原は、「産めれば産めるほど産みますよ。国に貢献したい」「身体の限界が来るまで産みます」「安倍さんの話を聞いて、私もちゃんと子どもを産んで、しっかりお母さんにならなきゃって思いました」と前のめりになって発言している。
その上、この指原の言葉に大満足な表情を浮かべていた安倍首相は、「かつ仕事もね」と念押し。女にあれこれ押し付ける前に産みやすくて働きやすい社会を先につくってよ!と多くの女性はツッコんだことだろうと思うが、指原は「はい、しっかり仕事もします」と即答した。
女性にばかり負荷をかけようとする安倍首相の姿勢に疑問を呈するどころか、その負荷を与える抑圧装置として機能してしまったのだ。
もちろん、こうした指原の姿勢は、彼女が男性優位社会のなかで身につけざるを得なかったという側面はあるだろう。“大人のエライ男性たちの意見を疑問視せずに内面化すること”を自らの処世術とし、様々な場面で“大人の男の論理”を代弁することで、指原はここまでかけあがってきた。
しかし、繰り返し指摘したように、指原のそれは単に処世術にとどまらず、被害を受けている女性や弱者に対する抑圧、権力を独占するものたちの補完として機能してしまっている。
しかも、指原がもたらすこの害悪は、今回の卒業によってさらに増大する可能性がある。情報番組やワイドショーのコメンテーターとしてひっぱりだこになり、社会問題で、権力の味方をし、弱者を攻撃する姿勢を全開する、そんな姿を想像してしまうのだ。いや、もしかしたら、もっと将来的には自民党から出馬なんてこともなくはないだろう。
(本田コッペ)
最終更新:2018.12.16 10:39