インタビューのなかで城田が「ズルい」とまで言うほど怒りをあらわにするのは、なんらかの分野で功績を成した人に対しては「日本の誇り」と褒めそやす一方で、ハーフの人々は明確な差別を受けているからだ。城田は以前にも、アイデンティティの問題について語っていたことがある。
「みなさんは日本という国で生まれ育ち、『ほかの人たちと違う』という感覚に襲われたことはないですよね。顔がかわいいとかブスだとか、濃い薄いっていう話じゃなく、根本的に『他人と違う』。僕はスペインと日本のハーフだからこそ、それを経験してきているんです。(母の母国)スペインにいた小さいときは『チノ』という中国人を指す差別用語を浴びせられ、日本に帰ってきてからは『ガイジンだ、ガイジン』って言われてきた。いまでは僕も自分の容姿を受け入れられていますが、20歳くらいまではひどくコンプレックスだったんです」(2014年9月16日付ウェブサイト『映画.com』)
前掲「AERA dot.」のなかで城田は、昔ほど露骨な差別を受けることはなくなったと言いつつも、日常生活のなかで「あの子は外国の血が入ってるからこういうマインドなのよ」や「彼はスペイン人だから」といった言い方を無自覚に用いられることも「僕にとっては差別なんですよ」と語る。
なぜなら、その人の感性や考え方と、その人自身の国籍や民族といったルーツは、必ずしもイコールでつながるものではないからだ。前掲「AERA dot.」のなかで城田は「その人の個性とアイデンティティーである国とが、必ずしも一致するわけじゃない」と、「その人本人」を見ようとせずに「○○人はだいたいこんな性格」といった出自に関する偏見で判断することは、それがネガティブなことかポジティブなことかにかかわらず、差別であると憤っている。
大坂選手も全米オープン後の会見でアイデンティティについて問われた際、「私は私」と答えていた。
作家のサンドラ・ヘフェリン氏は、著書『ハーフが美人なんて妄想ですから!! 困った「純ジャパ」との闘いの日々』(中公新書ラクレ)のなかで、 どこまでいっても違いを探し出し、異物として扱われ続けることの辛さをこう綴っている。
〈片方の親が日本人で、日本語も話せ、和食や浴衣が好きで、国籍が日本、というふうに『血』『日本語能力』『国籍』『心』の面で、『日本人であること』をクリアしていても、顔が欧米人のようだと、『容姿』の壁が立ちはだかり、いつまで経っても『日本人』だと認められない〉
〈『日本人に見られたい』『自分は日本人』と思っているハーフにとっては、言葉、心や国籍の問題をクリアしていても、『アナタはココが『普通の日本人』とは違う』と指摘されてしまうことはつらい〉
城田も指摘している通り、普段はハーフの人々に対して明らかに線引きをし異物として扱っているくせに、いざ「使える人間」だとわかった瞬間、「“特別に”自分たちの“仲間”に入れてやってもいい」と言わんばかりの「大坂なおみフィーバー」は、逆に日本に根強いグロテスクな差別意識を浮き彫りにした。そのことをあらためて認識しておくべきだろう。
(編集部)
最終更新:2018.10.28 09:59