周知のとおり、第二次安倍政権の誕生以降、日本における歴史修正の動きはどんどん勢いを増している。それに抵抗するように、近年の村上は、歴史修正主義の問題に向き合い、戦争責任について繰り返し批判している。
そして、このほど英訳が出版された『騎士団長殺し』の物語の根幹のひとつもまた、そうした歴史修正主義との対決だ。詳しくは本サイトの既報(https://lite-ra.com/2017/05/post-3157.html)をお読みいただきたいが、同書には第二次世界大戦をめぐる記述が多くあり、なかでも大きく話題になったのが、南京大虐殺をめぐる歴史修正に直接言及する場面だ。
〈「いわゆる南京大虐殺事件です。日本軍が激しい戦闘の末に南京市内を占拠し、そこで大量の殺人がおこなわれました。戦闘に関連した殺人があり、戦闘が終わったあとの殺人がありました。日本軍には捕虜を管理する余裕がなかったので、降伏した兵隊や市内の大方を殺害してしまいました。正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者のあいだにも異論がありますが、とにかくおびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます。しかし四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?」〉
この記述に百田尚樹をはじめ右派論客や右派メディア、ネット右翼らが噛みつき大きな非難を浴びせていたが、これの記述以外にも、日本兵による中国人捕虜の虐殺場面を生々しく描いたり、あるいは日本とナチスとの同盟関係、日本がナチスへの加担についても作中で繰り返し指摘するなど、作品全体を通して戦争という負の歴史に向き合い、安倍政権的な歴史修正主義と対決する姿勢が貫かれている。
日本がかつて犯した罪から目を背けることは、すなわち、「悪しき物語」「単純な物語」に耽溺することであり、また、自らの「影」を切り離すことでもある、と。