しかも、前澤氏が無責任だったのはその後の対応だ。前澤氏は4日なって、これまでの経営者の責任をごまかすようなツイートから一転して、こんなツイートをした。
〈会社で従業員が過労死したら、責任は100%僕にあります。一生かけて償い続け、二度と同じことを起こさぬ努力をします。亡くなった方の周りの方も、自分にできることはなかったのかと、悔やみ責任を感じるでしょう。世論や裁判官が責任の所在をどう判断するかは分かりません。自分では決めれないことです。〉
「責任は100%僕にあります」と言ったのは、経営者としては誠実な姿勢だと思ったのだが、なぜかその日のうちににこのツイートを削除し、代わりにこんなツイートをアップしたのだ。
〈「もしも」の話だとしても、従業員が過労死したら、なんていう想像は今までしたこともなく、これからもしたくなく、具合も悪くなってきたので、ツイート削除しました。責任を転嫁するつもりはないですし、最終的な責任の所在は世論や裁判官が決めることで、自分では決めれません。もうこの話嫌だ。〉
そして、前澤氏はその後、このツイートも削除し、以後、田端炎上問題について発言しなくなった。
ようするに、責任逃れを批判されていったんは「責任は100%僕にあります」と啖呵を切ったものの、弁護士か社内の労務担当にでも言われたのだろうか、あわてて取り消して、口をつぐんでしまったのだ。しかし、そのいいわけが、「具合も悪くなってきた」とか「もうこの話嫌だ」って、あんたは子どもか、と突っ込みたくなる無責任ぶりではないか。
改めて断っておくが、本サイトは、社会貢献や人へのやさしさを前面に出す前澤氏やZOZOのブランディングを否定するつもりはない。それが大義名分にすぎなくても、企業活動は経営者が掲げる大義名分に少なからず影響を受けるものだからだ。少なくとも新自主主義むき出しのグロテスクな経営方針に開き直る企業や経営者よりも、前澤氏やZOZOのほうがはるかにマシだろう。
しかし、だからこそ、前澤氏は今回、田端氏に対してもっと毅然とした態度を示すべきではなかったのか。いったい、田端氏になぜそこまで遠慮しているのかよくわからないが、それができなかったがために、ブランディングそのものが大きく毀損されてしまった。
前掲のインタビューで、田端氏はスタートトゥデイの「コミュニケーションデザイン室 室長」という仕事について、「社外やお客様から、会社としてのスタートトゥデイや「ZOZOTOWN」、あるいはブランドとしてのZOZOや、社長はこう見られていますよ、こんなふうに思われていますよ、ということを前澤には言いますね」と得意げに語っていた。しかし、今回、その田端氏の存在によって、前澤氏の本音やZOZOTOWNの本質があらわになってしまったのは皮肉としか言いようがない。
(編集部)
最終更新:2018.06.10 10:52