それにしても、ゆずというか北川悠仁はなぜ、こんな歌詞を書いたのか。たしかに、北川自身がもともと右派的思想の持ち主だったというのはあるのかもしれない。北川の母は新興宗教「かむながらのみち」の教主であり、本人も信者だが、この「かむながらのみち」は日本会議に参加している解脱会という宗教団体から分派した宗教で、真言宗をベースとしながらも、天照大御神を祀るなど、国粋主義的な傾向が強いといわれている。
また、北川の公式サイトの06年の「diary」では〈今年も呼人さんと靖国参拝!〉と書いて、プロデューサーの寺岡呼人氏と靖国に赴いたことを報告するなど、ひんぱんに靖国参拝をしていることも、ファンの間では知られた話だ。
しかし、だとしても、北川はこれまで、そうした政治的メッセージを一度も、発していなかった。それが突然、どうしたのか。
おそらく、それはマーケティング的な戦略にもとづいたものではないか。実は「ゆず」は、3年前に1度紅白に落選するなどここ数年人気が頭打ちで、北川はこれからの方向性を模索し、試行錯誤を繰り返していた。北川は、ウェブサイト「ORICON NEWS」のインタビューでこのように話している。
「進むべき道の先が二つに分かれていて、一つは「老成する道」。今の状態を保って、それまでのゆずのイメージを大事にしていくやり方ですよね。もう一つが、「イメージを壊してでも新しいことに挑戦していく道」。僕は、ゆずにまだまだ可能性があると思った。もっと面白いことができるはずという予感がしていて」
このインタビューの言葉からも北川の焦りは伝わってくるが、その北川が現状打破のきっかけとして考えついたのが、安倍政権的な「右の空気」に迎合した政治メッセージソングだったのではないか。
「こういう歌詞を唄うことで、みんながゆずに対して思ってることを壊したかったんだよ」
「こうやって思ってることをはっきり言うことも、ゆずとしてやり続けていくべきだと思ってる。ボロカスに叩かれるかもしんないけど(笑)。」
「音楽と人」18年5月号に掲載されているインタビューで、北川は「ガイコクジンノトモダチ」についてこう語っていたが、いま、起きている状況は逆だ。政権批判をしているタレントやミュージシャンが「芸能人が政治を語るな」「政治に音楽を持ち込むな」という批判を浴びて、テレビから姿を消す一方で、安倍政権に迎合するような保守的発言を口にするタレントや芸人は各方面でひっぱりだこになっている。ケント・ギルバートのように、落ち目でメディアから完全に消えていたのに、ネトウヨ化によって完全に復活してしまったケースもある。
今回、ゆずが映画評論家の町山氏から「総理とご飯食べてないか」とつっこまれていたことは先に紹介したが、北川にはもしかしたら、国家的イベントや安倍政権周辺のビジネスに食い込もうという狙いがあったのかもしれない。ジャーナリストの志葉玲氏は、〈改憲を目指す安倍政権が芸能人の取り込みをはかる中、「僕らにも声かけてよ!」的なセールスに見えるわけ〉と書いていたが、そこまで露骨でなくとも、2020年の五輪に向けて、愛国エンタメはますます盛り上がるだろうし、こうした政治姿勢を打ち出しておけば、国のプロジェクトに参加できるチャンスもどんどん広がってくる。
前出の「音楽と人」インタビューで北川は「ガイコクジンノトモダチ」について、このように解説していた。
「これは清志郎さんの〈あこがれの北朝鮮〉じゃないけど、文章にして読み上げるとかなり危険そうな内容も、ポップソングにしちゃえば、何だって歌にできるな、と思って書いてみたんだよね」
あのね、忌野清志郎は「サマータイムブルース」や「原発音頭」で敢然と反原発を主張し、「君が代」パンクバージョンで「君が代」の権威を相対化しようとしたんだよ。ビジネス狙いで安易にネトウヨ的愛国ソングをつくったあんたといっしょにしないでくれ。
(編集部)
最終更新:2018.04.11 01:30