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正気か? 土俵で救命する女性に「下りろ」、下りたあとの土俵に大量の塩…そもそも“土俵は女人禁制”は本当に伝統なのか?

〈明治時代になって相撲を近代化していく過程で、それまで存在しなかった相撲専用の常設施設を作った。この建物を小説家の江見水陰が「国技館」と名づけたとき、初めて相撲は「国技」と呼ばれるようになったというのである〉

〈しかも、相撲の近代化自体、外からの目線で始まった。相撲好きだった板垣退助が音頭をとって、外国からのお客さんも見るのだから、江戸時代の相撲のままではみっともない、文明開化後の日本にふさわしい姿にしよう、ということで、よそ様に見せても恥ずかしくない形に整えられたのだ〉

 つまり、開国にあたって諸外国からの目を気にすることになり、相撲という「芸能」を野蛮なエロ・グロ・ナンセンスの世界から離脱させる必要に迫られた。

 そこで利用されたのが「伝統」という考え方だった。前掲論文「相撲における「女人禁制の伝統」について」では、女人禁制が広がっていった過程をこのように説明している。

〈男尊女卑の土壌など、いかに女人禁制が受け入れられやすい風潮があったとしても、女相撲を禁止するためには、人々を納得させられるだけの(あるいは屈服せざるをえない)明確な理由が必要であっただろう。そこで相撲界は、「神道との関わり」という錦の御旗を掲げたのではなかろうか。神道は穢れ、思想により女性を差別する、ということは人々に広く知れ渡っていたはずである〉

 日馬富士の暴行騒動に際し、白鵬らの姿勢を糾弾していた貴乃花親方が「暴行事件が存在したのであれば、そこに同席した力士が土俵に上がるというのは、神事に反する」と語ったのは記憶に新しい。

 確かに、相撲と「神事」は深い関わりがある。これは、明治以降につくられた伝統ではない。ただし「神事」の意味合いじたいが、明治以降と江戸時代以前ではまったく別物だ。本サイトではこれまでも繰り返し指摘してきているが、明治に成立した「国家神道」は、それまで民間信仰であった「神道」を、明治政府が天皇崇拝の国家主義のイデオロギーとしてつくり変えたものだ。そして、「神事」としての相撲と女人禁制が結びつくのは、これまで説明してきた通り、明治以降なのである。

 何度でも繰り返すが、そもそもの話として、緊急の人命救助にあたっている人に対して「女性の方は土俵から下りてください」などと言える発想は狂っている。「人命」と「伝統」を秤にかけて「伝統」をとるのならば、それはもうほとんどカルト宗教のようなものだ。しかもその「伝統」は、つくられた「伝統」にすぎない。

 八角理事長がその日のうちにお詫びの声明を出したことからも、今回の一件がいかに重大なことか日本相撲協会は理解しているのだろうが、「女人禁制」のみならず親方の国籍問題など、相撲界において「伝統」と掲げていることが、本当に守るべき伝統なのか、あらためて徹底的な検証が必要だろう。

最終更新:2018.04.05 10:49

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