『北の桜守』は戦争映画ではないが、1945年から1971年までのひとりの女性の歩みを描くことで、戦争がいかに市井の人々の幸せな生活を蹂躙し、そして、本来あり得たはずの幸せな人生を破壊してしまうかが物語を通して語られる。
吉永小百合は『北の桜守』に出演するのにあたって、滝田洋二郎監督らとともに、網走、樺太へ取材に出向き、引き揚げの体験者から実際に話を聞いているが、彼女が120本目の節目に『北の桜守』を選び、また、役づくりにここまで力を尽くしたのは、彼女のこれまでの女優人生を振り返ると必然とも言える。
彼女が原爆詩の朗読会を各地で開き、広島・長崎で起きた悲劇や核廃絶の重要性を訴える活動をライフワークにしていることはよく知られている。平和への彼女の思いは強く、1966年公開『愛と死の記録』に出演した際、被爆者のケロイドの場面や原爆ドームを象徴的に映した場面を日活の上層部が問題視して、該当する場面をカットするよう命じられた際には、スタッフとともに撮影所で座り込みを行ったエピソードも映画好きにはよく知られた逸話である。
吉永小百合は1945年3月13日に東京・代々木で生まれた。つまり、東京大空襲の3日後に誕生しており、彼女の母は、おなかに子どもを抱えた状態で空襲を生き延びたことになる。その縁は彼女に少なくない影響をおよぼしたようだ。『私が愛した映画たち』(集英社)のなかで彼女は「私は一九四五年、日本が敗戦した年に生まれ、戦後とともに年を重ねてきました。私の中には、戦争の時代が再び来ないように、「戦後」という言葉を大切にしたいという思いが強くあります」と、自分の生まれた年と終戦の符号について語っている。
だからこそ、安倍政権が進める国づくりには危機感を募らせてきた。前掲『私が愛した映画たち』のなかで彼女はその恐れを、このように具体的に述べている。
「二度と日本が主導権を持って戦争を起こすことがないように、とずっと願ってきましたが、戦後七〇年を過ぎるあたりから、戦争の足音がどんどん近づいてきているようで、とても怖い気がします」