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トランプ的価値観に抵抗する米映画界! アカデミー賞『シェイプ・オブ・ウォーター』監督は「映画は国境線を消せる」とスピーチ

 この作品は、1971年にベトナム戦争に関する機密文書を報じようとしたワシントン・ポスト紙と、それに圧力をかけて潰そうとするニクソン政権との攻防を描く作品。この映画は、50年近く前の史実を扱った物語でありながら、もちろん、「いま」につながるものでもある。

 スティーブン・スピルバーグ監督は、今月6日付朝日新聞デジタルのインタビューでこのように語っている。

「脚本を読んだのは2017年2月で、すごい迫力で迫ってきました。報道機関が直面している壊滅的な攻撃を思い起こさせ、撮影中だった一つの作品に関する仕事以外はスケジュールを空けて、この映画を撮ることにしました。17年中に完成させるという目標に向かってみながまとまり、自分の作品で最も短期間で完成しました。この映画は私たちにとっての『ツイート』のようなものです」

 トランプ大統領がツイッターなどで自らに批判的な報道機関をたびたび攻撃していることへの危機感に突き動かされ、トランプへのカウンターとしてこの映画を制作したということだろう。
 
 これまで紹介してきたように、アメリカの映画業界は強権的な公権力に疑問をもち、虐げられる弱者に映画を通じて寄り添おうとしている。

 昨年の第74回ゴールデン・グローブ賞にて、功労賞にあたる「セシル・B・デミル賞」を受賞したメリル・ストリープが発した「私たちには、報道する力を持ち、どんな横暴に対しても厳しく批判する信念を持った記者が必要です。だからこそ、建国者たちは報道の自由を憲法で定めたのです」「ジャーナリストが前に進むことが私たちには必要だし、彼らも真実を守るために私たちの手助けを必要としているのです」との伝説的なスピーチを覚えている人も多いだろう。

 では、翻って、日本ではどうだろうか。

 日本アカデミー賞やブルーリボン賞のノミネート作品一覧が米国アカデミー賞のような状況にはなっていないし、授賞式の場で映画監督や俳優がメリル・ストリープのような社会的メッセージを発信したという例もほとんどない(そもそも、単なる芸能プロダクションのパワーゲームでしかない日本アカデミー賞になんらかの権威があるのかどうか疑問だが、それはまた別の議論)。

 楽しいエンタメ作品もあっていいし、芸術性を突き詰めた硬質な文芸作品があってもいい。それはそれでいいのだが、ただ、日本ではあまりにも現在の社会状況に対するリアクションがなさ過ぎはしないだろうか。

 もちろん、大林宣彦監督、山田洋次監督、吉永小百合、塚本晋也のような気骨ある映画監督や俳優も一部にはいる。しかし、もっと多くの日本の映画人の矜持を見たい。そう思わずにはいられなかったアカデミー賞であった。

最終更新:2018.03.08 12:43

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