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やっぱり差別主義者? 三浦瑠麗が黒人差別描いた『デトロイト』映画評でトランプそっくりのどっちもどっち論

 ようするに、三浦氏はこのコメントで差別問題を批判するポーズをとってはいるが、実際は一貫して差別する側に立って、差別する側を擁護しているに過ぎない。そして、差別を受けている側に対しては、みじんの想像力も働かせてはいない。

 そう考えると、三浦氏が“スリーパー・セル潜伏”“大阪がヤバイ”“大震災で北朝鮮工作員の迫撃砲発見”などという差別助長デマを発したのは、ある意味、必然だったと言えるかもしれない。

 映画評論家の町山智浩氏は、三浦氏のこの北朝鮮デマ発言と『デトロイト』へのコメントを重ねつつ、このようにツイートしている。

〈『デトロイト』への三浦瑠麗さんのコメント「本作を通して自分は誰かを差別していないか、誰かがつらい時に手を差し伸べているかと考えてみませんか」この映画が描く殺人事件は少数民族にテロリストが潜んでいるという恐怖が原因で、三浦さんは今回それを撒き散らしたんです〉

 まさにそうだ。この映画で描かれた「アルジェ・モーテル事件」は、モーテルに宿泊するひとりの黒人青年が撃ったオモチャの銃の音を、デトロイト市警とミシガン州兵が暴動に参加する狙撃者による攻撃だと勘違いしたところから始まる。

 オモチャの銃の音を聞きつけた警官たちはアルジェ・モーテルを急襲し、その場にいた黒人青年と白人の少女を捕らえる(ここに性的な関係があったのではないかと勘繰ることで警官たちはさらに怒りを増大させる)。白人警官らは宿泊客らを壁のほうに向かせ、殴る蹴るの暴行を加えながら「銃はどこだ!」「誰が撃った!?」と怒鳴り散らして尋問を行う。

 暴行を加えながらホテル中をひっくり返すが銃は見つからない。尋問を加えられているほうも知らないものは知らないし、そもそも銃などないのだから「知らない」と答えるほかないが、そのような答えは認められない。「銃はどこだ!」「誰が撃った!?」が無限に繰り返される。警官らには「黒人たちは街の治安を乱し秩序に反抗する態度をとる人間であり、体制側にいる自分たちを攻撃してくるに違いない」という、差別的意識を背景にした“思い込みに満ちた答え”があらかじめ用意されているからだ。

 銃声(のようなもの)が聞こえ、しかもそのモーテルに黒人がいる以上、そこには確実に銃があり、狙撃犯がいる。“いない”という可能性や“勘違い”という可能性は考えの俎上にも上がらない。そして、そこにある危険性を排除するためならなにをしても許されるという発想で、ひたすら暴力はエスカレートしていく。

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