実際、ネットの反応を見ていると、アンゴラ村長に対して反発する声のほうが大きい。むしろ誠子の「それほどかわいくない」発言のほうが、よく言った!と称賛されているくらいだ。とくに、彼女の発言が本来味方しているはずの層、女性からの反発が強い。
疎外されている人や、自己肯定できない人は、ブスや非モテを自虐する女芸人のほうに感情移入し救われ勇気づけられており、アンゴラ村長の「顔とか笑いとか変えられないものを蔑む笑いは、もう古い」という発言は、むしろ上から目線とすらとらえられている。そういう意味では、アンゴラ村長はお笑い界の“意識高い系”なのかもしれない。
“意識高い系”とお笑い芸人の世界はすこぶる相性が悪い。男尊女卑、弱者をいたぶる体育会的パワハラ体質からいまだ抜け出せない、反ポリコレ・前近代的な価値観が根強く残っているからだ。同じ芸能界でも、俳優や音楽の分野と比べても、その前近代性は顕著だ。
そこでは、差別やセクハラを批判することは「つまらない」こととされ、支配者やマジョリティの用意した予定調和に歯向かうことは「空気が読めない」とされる。そしてこれは、もちろん現実の日本社会の映し鏡でもある。
はたして、アンゴラ村長の考える新しい笑いは結実するのだろうか。アンチの反発の声も、フリートークでかわいいことを言うだけで受けなかったときの冷ややかな空気も、さほどダメージ受けてなさそうというか、気づいてなさそうにすら見えるマイペースな態度を見ていると、意外としぶとそうな気もするが……。
(本田コッペ)
最終更新:2017.12.11 08:53