大林監督はこの日の思い出を「文藝春秋」2016年9月号に寄せた随筆にも書いている。
〈戦争に負けた。男は撲殺、女は強姦、祖国は壊滅する。母と二人、短刀を前に一夜を過ごした。あの時、確かに僕は死んでいた。
その後の記憶はズタズタだ。教科書の文字を墨で塗り潰したっけ。チョコレートにチューインガム。闇米、パンパン、アプレゲール。自決もせず、「平和」に浮かれている大人たち。日本人の精神年齢は十二歳、とアメリカさんは言う。大いに納得した。大人たちはみんな「平和難民」、僕ら子どもは「平和孤児」だ〉
そして、この日の経験と、戦後日本の歩みに憤りを覚えたことが、いまにいたるまでの映画監督としての作品づくりの礎になっていると綴る。
〈日本は復興・発展。高度経済成長期、僕は大人になった。すると今度は、日本人が自らの手で、日本を壊し始める。僕は町興しならぬ町守り映画を作る事こそが、「敗戦少年」の責務であると。斯くして「3・11」を経て、明治維新以降の日本の「戦争」と「平和」を見直す「古里映画」を作り続けております。敗戦後七十年は「平和〇年」の筈だった。然し今、この日本は!?
人ヲ殺シテ死ネヨトテ、二十四マデヲソダテシヤ。
僕は七十八まで生き延びた。まだまだ、死ねぬ〉(前掲「文藝春秋」)
ご存知のように、現在の安倍政権は度重なる北朝鮮によるミサイル・核実験に対し、ひたすら圧力を強める方向の反応を示し続けている。喧嘩腰の外交のその先に起こり得る事態を想定しているのかどうか、疑問に残る。人の命は一度失われたらもう二度と戻っては来ない。そのことを果たして本当に認識しているのかどうかすら、はっきり言って微妙だ。
だからこそ、我々は『花筐/HANAGATAMI』のような作品が語りかけようとしていることに耳を傾ける必要がある。ドキュメンタリーのなかで大林監督は「戦争」についてこのように語っている。
「みんながしっかりと怯えてほしい。大変なことになってきている。過剰に怖がらせているように思われるかもしれませんが、過剰に怯えていたほうが間違いないと僕は思う。それが、実際に怯えてきた世代の役割だろうと思うので、敢えて言いますけどね。怯えなきゃいかん。戦争というものに対して。本当に」
戦争の恐ろしさをしっかりと認識し、その凄惨さに怯えること。そして、その恐怖を乗り越えたら、今度は「平和を信じる力」を身につけること。大林監督はがんと闘いながらつくった『花筐/HANAGATAMI』で、それを伝えようとしている。
大林監督はこれからも映画やインタビューなどを通じてメッセージを発信し続けてほしい。
(編集部)
最終更新:2017.12.08 11:45