政治の知識も経験もない主婦が市議会議員に立候補し当選するなんて現実にはあり得ない、ご都合主義と展開を批判する声もあるし、そういう雑な部分もある。それでも、あの演説をしてそれがSNSで拡散すれば、当選だって十分あり得る話だと思わせられるくらい、篠原の演説は胸を打つものだった。視聴者にとってもこの演説を聞くだけでも、初回を観る価値はあったといえるだろう。
しかし、そう考えると、返す返すも残念なのは、このドラマの放送開始がずらされしまったことだ。すでに報道されているように、この『民衆の敵』は当初、10月16 日にスタートすることになっていた。ところが、突然の解散によって、10月10日公示、22日投開票で、総選挙が行われることになったため、1週遅れの23日スタートに変更になったのだ。
たしかに、16日初回放送だと、選挙戦のまっただなかになる。しかし『民衆の敵』は政治ドラマとはいっても、ノンフィクションでもなければ、実在の政治家や政党をモデルにしたようなストーリーですらない。これは明らかに過剰な自主規制だろう。
「制作現場はもちろん、編成も当初はそのまま16日に放送するつもりだったようですが、上層部のツルの一声で選挙期間中を避けることが決まったようです。制作現場は、回数にも影響するので抵抗したらしいんですが、“公選法違反と言われたらどうするんだ!”という恫喝で押し切られてしまったらしい」(フジテレビ関係者)
まったくなにを言っているのだろう。前述したように、このドラマは(少なくとも初回については)、特定の政治勢力や政策にくみするものでなく、普段、政治に関心のない人たちに政治への参加意識を喚起するものだった。もし、この政治ドラマが予定通り、16日にきちんと放送されれば、投票率があがった可能性もある。
国民の政治参加啓発のための大きなチャンスを過剰な忖度でみすみす葬り去ってしまうのだから、フジの上層部こそ、民主主義の敵ではないか。
しかし、そう考えると、初回、素晴らしい内容だったこの『民衆の敵』だが、その今後には、大きな暗雲が漂っているともいえる。
最近、「フジ月9「民衆の敵」での“安倍総理をバカにする”演出に批判殺到!」などという、いちゃもんとしか思えないネット記事が出ていたが、このドラマがまっとうなメッセージを届けようとしても、ものように安倍応援団やネトウヨたちが「偏向だ」と騒ぎ、上層部が忖度して内容が歪められる可能性が考えられるからだ。
いやそれどころか、視聴率も初回9パーセンとふるっていないし、もしかしたら、月9としてありえない途中打ち切りという可能性もなくはないかもしれない。
(本田コッペ)
最終更新:2017.10.30 09:36