LGBTであることをあげつらい、保守的な人々が思う「普通」の枠から外れているからといって公の場で「おかま」という差別語まで用いて侮辱する。この言動のほうこそ「社会常識からして」あり得ないわけだが、松尾はこの件について、このように怒りをあらわにする。
〈市の広報番組への制作委託料に関する話なのだが、いろんなことをこの人は間違っている。
まず、市の広報番組を制作委託するためのお金は支援じゃない。対等な取引だし。ましてや、そのオネエキャラの人にすべて支払われるお金じゃないし。おかま=正常な形でない、という紋切り型の表現もどうかと思うし、正常な形でないものには、ギャラなんか払わなくてよいのだ、という根本的で絶対的な差別意識がそこにあるし。
アドルフ・ヒットラーのことを少しでも知っていれば、そのような「ノーマルでないもの」に対する差別がファシズムの根幹と大いに関わっていることくらいわかるでしょう〉
ちなみに、この件は大炎上した結果、当の市議は釈明することになるが、その言葉は「自民党公認候補者は、党の『男は男らしく、女は女らしく』という伝統的な家族観を広める立場にある」というもので、まさしく文字通り火に油を注ぐ結果となった。呆れるよりほかない。
また、彼は同じコラムのなかで、もうひとつ実際の騒動を挙げて、保守的な姿勢を打ち出す人たちへの批判を綴っている。
それは、昨年3月に大阪の中学校の校長が全校集会で「女性にとって最も大切なのは、子供を二人以上産むこと」や「男女が協力して子供を作るのが社会への恩返し、子供が産めず育てられない人は、その分、施設などに寄付すればいい」と発言した騒動。当然これらの発言は大炎上したわけだが、この校長の「子どもがいない(つくれない)人」への配慮や想像力の欠如について、松尾はこのように憤りを綴っている。
〈子供を作れない人こそ、将来、自分の老後の後始末をするとき、お金が必要になるのに。子供がいない老人に対して、行政的にまったく甘くない日本の現状を想像すらできていない。
まあ、力を持っている人が、保守的なことを主張することはわかる。
保守的な姿勢が、もっとも彼らの既得権益を守るからである〉