東山は本書のなかで「人は人を差別するときの顔が最も醜いと僕は思っている」とも語っているが、そういった思いは、大人になり、俳優業に主軸を置くようになっても変わらない。
彼は役を演じることを通じて、色々な歴史や社会状況について学んでいく。そして、その時々の場所や歴史のなかで虐げられている人々に対し、思いを馳せていくのだった。1992年に主演した大河ドラマ『琉球の風』で初めて沖縄を訪れたときは、その歴史についてこのように語っている。
「十七世紀から今日までの沖縄の歴史をふり返ると、沖縄の悲劇は極端なものだと思う。国内で沖縄ほど虐げられた歴史をもつ場所もない。今日に至るまで人々の思いは見事なほどつぶされてきた。なのに、どうしてこんなに明るく、親切でいられるのか。その優しさの裏には底知れぬ悲しみがあると思った。それを経験している人々の強さと優しさなのだ」
また、広島のコンサート後に原爆資料館を訪れた東山はこんな決意さえしていた。
「僕は韓国人の被爆者の人生に関心がある。差別のなかで、さらにまた差別を受けた人々はどんな人生をどんな人生観で生きたのだろう。演じることが許されるなら、その人生を演じてみたい。伝える必要があると思うからだ」
しかも東山はこうしたエピソードを単なる個人的な思い出話として語っているわけではなく、具体的な政策批判に踏み込むことも怖れていない。たとえば、上述の在日問題についても、たんに在日コリアン一家への思いだけでなく、朝鮮学校無償化見直し問題にまで踏み込んでいる。
「「(家族ぐるみのつきあいだった)僕より二つ年上のシュウちゃんは地元の公立学校ではなく、朝鮮学校に行っていた。学校は別々だったし、僕は小学二年の終わりに桜本を離れたけれど、中学になるまでときどき遊びに来ていた。中学生になってからは会っていない。
当時シュウちゃん一家は日本名を名乗っていた。差別のため本名は名乗れない時代だった。
あれから三十年たち、最近は韓流ブームが起こり、韓国には日本人観光客が何十万人も行く時代になった。一方、高等学校の無償化から朝鮮学校だけが外されたというニュースが入ってきて、いまも変わらない日本の社会の器の小ささも感じる」
無償化見直しを「日本の社会の器の小ささ」と喝破する東山は、想像以上に冷静で客観的な目をもっている。たとえば、殺人事件についてもこう書いている。
「ある殺人事件の無期囚の加害者が被害者の両親に謝罪の手紙を書いたとあった。家族は悲しみを超えて、加害者に手紙を書いた。そして両者の文通が始まった、という。 被害者と加害者の交流は異例だ。メディアでは加害者は徹底的に『殺人者』として報道されがちだ。その家族までが『悪人』のように思われることもある。でも、手紙の文面ではとても『悪人』とは思えない。殺人を犯すに至るまでいったい彼に何があったのか。重いテーマだが、被害者と加害者双方の内面はどういうものか、などと考える」