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東山紀之が日曜ニュース番組キャスターに! 自伝で語っていた在日差別、沖縄への思い…松本人志と真逆の“反ヘイト”の姿勢に期待

少年時代の東山紀之が感じた“差別”に対する疑い

 幼い東山少年と在日コリアン一家の交流。そして、自らもロシア人の血を引いていることへの複雑な思い。そういった生い立ちが彼のその後に大きな影響を与えたことは想像に難くない。

 東山は小学校時代から差別への違和感をもち、虐げられている人たちに思いを馳せるようになっていた。東山は『カワサキ・キッド』のなかでこう振り返っている。

「あのころ、桜本の在日の人々のほとんどが、本名を名乗れない状況にあった。地元の小中学校の近くに朝鮮学校があったが、日本人の子どもの間では、『朝校の生徒に会ったら鼻に割り箸を突っ込まれるから気をつけろ』などというデマが流れていたりした。僕は『そんなことないのに!』ともどかしくてならなかった」
「「(家族ぐるみのつきあいだった)僕より二つ年上のシュウちゃんは地元の公立学校ではなく、朝鮮学校に行っていた。学校は別々だったし、僕は小学二年の終わりに桜本を離れたけれど、中学になるまでときどき遊びに来ていた。中学生になってからは会っていない。
 当時シュウちゃん一家は日本名を名乗っていた。差別のため本名は名乗れない時代だった」

 同世代の多くの男の子たちがそうであったように、彼の少年時代のヒーローは王貞治だったのだが、差別や偏見に対し鋭敏な目をもつ東山は、王貞治の野球に打ち込む姿から、他の子どもたちはあまり気がつかないような側面を感じ取る。

「日本のスポーツ界にも多くの外国人の血が流れている。芸能界でもさまざまなルーツの人々が活躍している。それでこそ豊かな文化が花開くのだと思う」
「国籍の問題で国体に出られなかったことに黙って耐えたと知ったときはジーンときた」

 それは、中学生になってジャニーズ事務所に入ってからも変わらない。ジャニーズに入り、ダンスに打ち込むようになった東山は、マイケル・ジャクソンを通じてブラックミュージックに魅了されるようになるのだが、ここでも、ブルースやジャズやソウルといった音楽の背景にある、アメリカの黒人たちの悲痛な歴史をも感じ取っていく。

「奴隷として鎖に繋がれてアフリカから連れて来られた人々は、運動不足にならないよう足踏みをさせられた。そこでリズムを刻むのが彼らの唯一の自己表現だった。生き残った人々は道端に落ちていた王冠(栓)を足につけ、リズムを刻んで遊び、ささやかな楽しみにしたという。それがタップ(英語で“栓”の意味)の始まりと言われている。タップダンスとは、虐げられた人々の発散であり、魂の叫びだったのだ」

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