まず、この「百田本」に顕著なのが、1900年前後の紀行文やルポを根拠にして、併合前の朝鮮(李氏朝鮮末期〜大韓帝国)を徹底的に貶すというやり方。これがまたに悪意丸出しのフレームアップで、“朝鮮は文明国の日本とは比べものにならない不潔で最悪の国”と印象づけようとしているのだ。
たとえば百田センセイは、〈鼻が曲がりそうな悪臭は、朝鮮半島諸都市の名物でした〉(百田本)として、1894年から4度朝鮮へ渡航したイザベラ・バードの旅行記『朝鮮紀行』(時岡敬子訳/講談社学術文庫)から、〈城内ソウルを描写するのは勘弁していただきたいところである。北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどい臭いだと考えていたのであるから!〉(百田本ママ)との箇所を引用。また、1904〜1905年に朝鮮を訪れたスウェーデン人ジャーナリストによるルポを根拠に、ひたすら“朝鮮の汚さ”を強調している。
〈アーソン・グレブストは、『悲劇の朝鮮』(白帝社)の中で、釜山の印象を次のように書いています。
「道は狭く不潔で、家屋は低くて見栄えがしなかった。日本のように人目を引く商店や、古い寺などもない。四方から悪臭が漂い、戸外にはごみが積もり、長い毛をだらりと垂らした犬が集まってきては食べ物をあさっている。あちこちに乾上った下水道があるが、そのべとべとした底ではいろんな汚物が腐りかけている」
どうやら釜山もソウルと同じくらい不潔な街だったようです。〉(百田本)
一方で〈ちなみにバードは同時期の日本にも五度訪れ、『日本奥地紀行』(平凡社)という本を出していますが、そこで日本の美しい自然や街や家の清潔さに感銘を受けたことを書いています〉(百田本)などと比較するように書いて、日本を持ち上げることも忘れない。
たしかに、百田による引用部分だけを読むと、「朝鮮ってなんて汚いところなのだろう」「日本と比べてダメな国だ」なるネガティブな印象を持ってしまう人もいるかもしれない。しかし、実際にバードやグレブストの著書を読むと、もっぱら彼・彼女らが“朝鮮の汚さ”ばかりを取り上げているわけでも、ましてや“朝鮮に比べて日本は素晴らしい”などと言っているわけでも決してないのである。