トリニダード・トバゴ人の祖父をもつクォーターの青山テルマは、今年2月に放送された『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ)で、幼稚園のときに受けたいじめをこのように語っていた。
「小さいときはもう、辛かったけどね。『あの子、肌の色が違う!』みたいな。『何だ、アイツ』みたいな。『黒人だ!』みたいなとかさ。なんか、『ゴリラ! ゴリラ!』とか、超近所の子に言われたりとかさ。『テルマって黒人だから将来心配だよね』とか。『ホント、テルマちゃんってブサイクだよね』とか普通に言われてた」
いくら幼稚園児の言葉とはいえ、これは到底許容できるものではない。傷ついた心中は察するに余りある。そういったいじめを避けるため、彼女は小学校入学にあたり、奈良の家から往復4時間もかかる大阪のインターナショナルスクールを選ぶことになるのだが、いじめられた側がそういった不便を強いられることになったのは、なんとも理不尽な話である。
作家のサンドラ・ヘフェリン氏は、著書『ハーフが美人なんて妄想ですから!! 困った「純ジャパ」との闘いの日々』(中公新書ラクレ)のなかで、知人の体験談としてこんなエピソードを紹介している。
外国人を母親にもつ子どもが何人か通っていたある日本の小学校でのこと。保護者がダンスなどの余興を発表することになった際、「ドイツ人のお母さんが『私、ダンスを踊ってもいいですか?』と申し出たところ、まわりのママたちから『素敵!踊りってバレエですか?』」などと盛り上がったのだが、「フィリピン人のお母さんが、『私もダンスを踊っていいですか?』と聞いたところ、お母さん方の間でシラーッとした微妙な雰囲気が流れ」、「後で『あの人、ダンスできるとか言っているけど、水商売で習ったダンスなんじゃないの』と陰口三昧だった」のだという。
こうした「『お母さんがフィリピン人なの』と言うと、すぐに相手は『お母さんは水商売で、お父さんは元お客さんに違いない』と勝手に決め付ける風潮」に対し、著者のヘフェリン氏は「決め付けはよくないのはもちろんのこと、たとえその子のお母さんが水商売をしていたとしても、だから何?」と言う。そもそもハーフでなければ、父親と母親がどこで出会ったかなどいちいち詮索されること自体ないだろう。