稲田朋美HPより
稲田朋美防衛相が、ウヨク雑誌「月刊Hanada」(飛鳥新社)7月号に寄稿した評論家の渡部昇一氏に対する追悼文が、物議を醸している。
周知のように、渡部氏は保守論壇のなかでももっとも極右といわれる存在で、今年4月に心不全で亡くなるまで、改憲はもちろん、大東亜戦争の肯定や歴史修正主義、さらには核武装やナチスを彷彿とさせる優生思想まで振りまいてきた。稲田氏はそんな渡部氏に心酔し、雑誌の対談や共著書も出版。自分の後援組織「ともみ組」では渡部氏に依頼して会長に就任してもらっていた。「Hanada」での追悼文によれば、稲田防衛相が政治家になった直後、夫で弁護士の龍示氏が〈渡部昇一先生にどうしても会長になってもらいたいと言い出した〉のが始まりだという。
こんなトンデモ極右評論家とべったりな政治家が日本の防衛相に就任しているというだけでもぞっとするが、さらに問題なのは追悼文の内容だった。なんと、稲田防衛相はこのなかで、「東京裁判史観の克服」を改めて決意していたのである。これは、日本の防衛大臣が日本の戦争責任と戦後の国際秩序を完全否定したということであり、普通なら、即刻辞任モノだ。
実際に「Hanada」を読んでみると、稲田防衛相はまず、〈まだまだ先生のご期待に沿うことができていないと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいだ〉として、ともみ組会長就任時に渡部氏からこんな一文を送られたと書いている。
「日本の政治家に今一番必要なのは東京裁判史観を粉砕する知力を基礎にした勇気である。稲田先生は弁護士時代からその稟質を示してきた。今や政界においてその知力と勇気を発揮する秋(とき)がきた。日本のサッチャーになる日を期待する」
この一文は現在でもともみ組のパンフレットにあるというが、渡部氏を「師」と仰ぐ稲田防衛相は、追悼文でこれを自慢げに紹介したあと、改めてこう決意表明するのだ。
〈先生のおっしゃる「東京裁判史観の克服」のためにも固定概念にとらわれず、「客観的事実はなにか」を追求する姿勢を持つことが大切だと私は理解している。〉