小学館「SAPIO」5月号
またどこぞのネトウヨが無知蒙昧を振りまいて……と、思ったら作家の百田尚樹センセイであった。
「中国を偉大な国と勘違いさせる「漢文」の授業は廃止せよ」
「SAPIO」(小学館)5月号の「禁断の日本再生論」なる特集のなかで、百田が「対中政策の秘策」として寄稿した文章のタイトルがこれ。いったい、このオッサンは漢文になんの恨みがあるのか? 読んでみると、これが予想以上に無教養・無知性の極みだったのである。
まず、百田に言わせれば、日本人には「中国の脅威」に対する危機感が足りず、それは「中国への漠然とした憧れ」が原因だという。この「憧れ」は、『史記』や『三国志』はては「「中国4000年」という言葉」の影響で生まれた“中国は歴史的な文明国”との「誤解」に基づいているらしい。百田は、そうした史書の読解力を身につける「漢文の授業」を諸悪の根源と見る。
〈そもそも、なぜ学校「漢文」の授業があるのか。英語と違って使う機会なんてないし、あれは趣味の世界だと思うんです。〉
“英語と違って使う機会がないのに”とは、日頃「売れない小説には意味がない」などと公言し、文化の価値を実益でしか測れない、いかにも百田センセイらしい発想。さすが国立大の文系廃止方針を打ち出すなど経済効率優先で「文化」を破壊しようとする安倍首相のオトモダチだけのことはある。反知性主義の極みだ。
しかし百田の主張はこれにとどまらない。百田はさらに「もともと中国文化は根本的に日本人には合いません」と断言。“朝鮮半島は中国文化を無条件に受け入れたが日本は取捨選択をして「独自の文明」を築いた”と主張しついでに朝鮮半島まで攻撃したうえで、再度、漢文をこう攻撃している。
〈それを考えれば、現在も中国に対する漠然とした憧れを持つことはやめるべきだし、そんな勘違いを育む漢文の授業も廃止したらいいのです。〉
前からアレだとは思っていたが、まさかこれほどとは……。つまり、百田センセイの頭のなかでは、称揚すべき「日本独自の文明」と大陸由来の「漢文」は切り離されていて、後者は「中国を偉大な国と勘違い」させる“敵性言語”という扱いらしい(しかもそこまで「漢文」を忌み嫌っておきながら、しかしその主張を、同じく中国発祥の「漢字」で書くのはなぜかOKというのも意味不明だ)。