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キンコン西野の「お金の奴隷解放宣言」はおかしくない! 絵本無料公開を批判する意見こそ「奴隷」の発想だ!

 お金がなくて本を読めない体験から学べることって、いったい何なのか。本を読んで新しい世界を知りたいと思ってもお金のない者にそれは許されない。学びたいという意欲があってもお金がなければ結局かなわない。大事なのはやる気より、お金。お金のない者は、がんばっても報われない。そんなことを学んで、何の意味があるのか。

 お金の大切さなんかより、本を読むよろこびを知ることのほうがはるかに価値がある。

 しかも言っておくが、いま日本では親の所得格差がそのまま教育格差に直結しているうえに、子どもの貧困はどんどん進行している。いま日本にいる子どもは、お金のありがたみも本を読めることのありがたみもとくに知ることなくいくらでも本を読める子どもと、お金がなくて永久に本が読めない子どもに二極化していて、なおかつ後者がどんどん増えているのだ。

 お金がなくて本を読むことができなかった体験から学べることなんて、そうした不平等を受け入れろということでしかない。本を読みたい、新しい世界を知りたい、学びたいという意欲もお金がなければかなえられない。それのどこが教育なのか、どこが子どものためなのか。それこそが、西野の言う“お金の奴隷”ではないか。お金がなくても、読むチャンスを与えられたという体験のほうが、よっぽど価値がある。

 本を読むよろこびを知る人間が少なくなれば、結局市場は小さくなるし、本の多様性も失われていくだけだ。実際、いますでにそのスパイラルに入っている。それに抗う西野の試みは、「お金は大切」と繰り返している人たちにも広い目で見ればプラスになるはずだ。
 
 ネットで無料公開するよりも図書館に本を寄贈するべきだったという意見もあるが、どちらがより広く多くの人に届くか考えれば、明らかに前者のほうだろう。

 西野のなかには、今回の無料公開がプロモーションとして成功するという計算もあったかもしれない。無料公開以上に、“お金の奴隷解放宣言”がよくない、炎上商法だという批判もある。

 それが炎上商法だったとしても、売れた者が正義で、お金のない者は自己責任という新自由主義のはびこる今の日本で、「お金を持っている人は見ることができて、お金を持っていない人は見ることができない」とあえて問題提起したことの意味は大きい。

『ミヤネ屋』では「西野は、生理的に無理」などという声もたくさん紹介されていたが、西野の問題提起にもうちょっと真剣に耳を傾けてもいいのではないだろうか。
(酒井まど)

最終更新:2017.11.15 06:31

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