ソギョン氏が語るように、少女像には「平和の碑」の名のとおり、世界平和を願い、戦争被害と女性の人権侵害という悲劇を再び起こさないようにという願いが込められている。そして、日本の右派は慰安婦問題で韓国を攻撃するときに「韓国もベトナムで市民の虐殺や略奪を行い、慰安所もつくったじゃないか」という“どっちもどっち論”を常套句とするが、一方、キム夫妻はベトナム戦争時の韓国軍による民間人虐殺の加害意識を正面から受け止め、現在、謝罪と反省の意味を込めた「ベトナムのピエタ像」の制作に取り組んでいる。少女像が決して“反日の象徴”ではなく、戦争を憎み、犠牲者を悼み、そして同じ惨禍が起こらないよう、普遍の平和を希求する思いのもとつくられたことのひとつの証左だろう。だからこそ、市民はその撤去に抗しているのだ。
想像してみてほしい。たとえば、禎子像の通称で知られる広島の「原爆の子の像」もまた市民の募金によりつくられた像で、原爆犠牲者を慰霊し、世界平和を祈る作品だが、仮に原爆を投下したアメリカが「10億円を出すから像を撤去しろ」などと言い出し、日本政府が了承したら、わたしたちはどういう気持ちになるだろうか。つまり、日韓合意で少女像を撤去せよと迫った安倍政権は、戦争犯罪の被害者の気持ちを無視し、また平和を願う人類普遍の想いを冒涜したも同然なのである。
そしていうまでもなく、その行為は歴史修正主義と表裏一体だ。今、安倍政権が少女像設置をめぐって強硬的な態度を見せ、国民の熱狂を煽っているのはなぜか。憲法9条を解釈改憲で骨抜きにし、軍備増強に邁進している安倍首相だが、この宰相がなくしたいのは少女像に限らない。戦争の悲劇の記憶と、その反省からくる不戦の願い、それ自体を葬り去りたいのが本音だろう。
事実、第一次政権のころは河野談話の見直しに鼻息を荒くしていた安倍首相は、現在でこそ表立った歴史修正発言を控えてはいるが、約20年前には、自民党の「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」で事務局長をつとめ、1997年4月の第7回勉強会で“韓国は売春国家だから慰安婦になるのに抵抗はなかった”という意味の差別発言まで得意げと放っていた。
「実態は韓国にはキーセン・ハウスがあって、そういうことをたくさんの人たちが日常どんどんやっているわけですね。ですから、それはとんでもない行為ではなくて、かなり生活の中に溶け込んでいるのではないかとすら私は思っているんです」(『歴史教科書への疑問 若手国会議員による歴史教科書問題の総括』展転社より、勉強会での安倍の発言)