だが、重要なのは、彼らは「仲の良さ」を強要されて演じてきたわけでもない、ということだ。仲の良さは結果的に「SMAPらしさ」になったが、本人たちが意識してつくり出したものではない。事実、プライベートで5人がつるむことはないとメンバーは公言しており、その点は楽屋でもプライベートでも仲が良いことをアピールする嵐とは根本的に違う。
しかも、SMAPの「仲の良さ」や「絆」のリソースは、「売れない時代から苦楽をともにしてきた」という“過去”にある。たとえば、中居と木村は他メンバーとは異なり互いに距離感をもって接していることが明らかだが、それはふたりが不仲だからなのではなく、高校の席も隣同士だったという同級生の照れ臭さや、ツートップであり年長者という役割を自覚するがゆえのものだろう。そうした密で信頼感を基盤にした関係性が、ふとした言動から垣間見える。それがSMAPの「仲の良さ」と評されるものの根本にあり、いま男性アイドルが求められているようなホモソーシャル的な馴れ合いとはまったく違うものなのだ。
しかし、だからこそSMAPは──正しくは、SMAPであろうとした4人は──「仲が良い」というふり、演技ができなかった。
現に、昨年8月に放送された「シャッフルBISTRO」のコーナーでは、香取が「木村くんが雑誌の表紙で着ていたコートを買った」と楽しげに話したり、ホスト役だった草なぎ剛のマイペースな進行ぶりに中居が茶々をはさんで盛り上げていたが、解散危機が表面化する直前、昨年の12月初旬に収録された同コーナーを見ると、中居や香取にいつもの元気はなく、木村に対してもよそよそしさが表れていた。
こうした態度は、今年1月の「公開生謝罪」や8月の解散発表後も変わらなかった。それは過去2回も出演し、メンバーもリスペクトしていた世界的アーティストであるレディ・ガガや、あのタモリがゲストとして出演しても同じ。タモリのように恩義のある大物ゲストが出てきても、彼らはやはりギクシャクしたままだったのである。
もし、「仲の良さ」を見せることがSMAPらしさ、SMAPとしてのビジネスだと捉えていたならば、4人も表面上は仲の良さを取り繕って演じたかもしれない。だが、『SMAP×SMAP』を通して、「関係」を演じるのではなく「そのまま」を見せてきた彼らは、それが「できなかった」のだ。
もちろん、決定的な亀裂が入ったのは、今年1月の「公開生謝罪」にあるのは明白だ。